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【新連載:ユダヤ人の発想に学ぶ1】 ユダヤ人の特質と発想の原点
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ユダヤ人は世界に約1500万人しかいないが、現代では政治・経済・文化など世界のさまざまな分野で活躍している。アインシュタイン、フォンノイマン、ヘルツをはじめ、エレクトロニクスや自然科学の分野での彼らの活躍はめざましい。 筆者は1963年以来、ユダヤ人と深くかかわってきた。その経験と知識を活かして、技術者に望むことを一文にせよと編集部のご要望である。今回はまずはユダヤ人の特質と発想の原点から。 1.ユダヤ人の特質筆者には、日本人とユダヤ人との資質にそれほど差があるとは思えない。ユダヤ人と他のアメリカ人との間にも、人間としての本質的差異はない。強いていえば、それぞれが育った生活風土や文化に差異があるのかもしれない。米国には一獲千金をめざして世界中からさまざまの民族が、裸一貫でやってくる。ほとんどの人は製造業や商業、農業に関心をもち、そこから仕事をはじめる。ある程度教育を受けた人であれば、公務員や教師、事務員といった仕事をえらぶ。ユダヤ人も米国に移民してきた当初はそういう仕事からはじめる。 ユダヤ人は第2世代になると、法律家、医者、科学者など高度の知的職業をこころざす者が多数でてくる。その点が、ユダヤ人と他の民族との大きな相違である。 一般には、これらの職業が高所得だから、お金が好きなユダヤ人はそういう職業につきたがるのだ。ユダヤ人は上昇志向が強いのだと、取り沙汰されている。しかし、筆者がこの45年接してきたユダヤ人たちを観察すると、この意見はかならずしも正しくない。 彼らは知的職業にやりがいを見いだすから、それらの仕事を選ぶのである。それは、様々の問題を解決する仕事だから、挑戦しがいがある。こう彼らは考える。 金融やマーケティングに従事するユダヤ人たちでも、基本的にはこの考え方のうえに立っている。金融やマーケティングにはリスクがある。そのリスクと対戦し、問題を解決しリスクの回避方法を考えるのが面白いから、その分野の仕事をしているのだと、彼らは言う。 2.ユダヤ人の質問の伝統ユダヤ人は、紀元前1300年頃に民族60万人がエジプトから脱出して今日のイスラエル(古代のカナン)地方に移住したことに歴史を発する。これを記念して毎年「ペサッハ(過ぎ越しのまつり)」を7日間行う。最初の晩餐の席では、世界中のユダヤ人のどの家庭でも子供にヘブライ語で質問をする。 「マー・ニシュタナ、ハライラ・ハゼ、ミコール・ハレロット? 何が変わっているの、今夜は、いつもの夜とくらべて?」 過ぎ越しのまつりでは、まつりの期間中7日にわたって、食事のたびに「マツァー」という塩味もなにもしない巨大クラッカーをパンの代わりとする。期間中、イーストなどを用いた発酵食品をいっさい提供しない。したがって通常のパンもない。その他、まずい食物ばかり食べる。それでいて、自由人のシンボルである安楽椅子によりかかる。ワインを4度乾杯する。 ふだんの食事とのそうした違いを、子供になぞなぞで問いかけるのである。 まつりにおいてさえも、彼らは、幼くして問題意識をもつようにしつけられてきている。 ナニがちがうのか? ナゼちがうのか? 疑問はつねにこの二つに始まる。 そしてイツ? ダレ? ドコ? ドチラ? ドノヨウニ?と発展する。 カーク・ダグラスは幼いころ、学校から帰ると、そのたびに母親から「きょうは良い質問をしたかい」ときかれたという。子供に疑問をもたせる。これは最上の教育的配慮である。 総じて日本の母親は、子供に答えを教える。「これはお花ですよ。お花は美しいでしょう。朝咲くから朝顔っていうのよ」。 ユダヤ人の母親は「これは何の花?」ときく。子供が「アサガオよ」と答えると、「では、なぜアサガオっていうのでしょう」とまた訊ねる。「朝咲くからアサガオなのよ」と答えると、「ヤフェーッ、アマルタ、よく答えましたね」とほめる。直訳すると、「美しいね、あなたが言ったことは」である。 美の観点が、花そのものよりも、子供の返答の美しさに向けられている。 3.エクセルの秘密パソコンで広く使用されている実用ソフトに、マイクロソフト社の「エクセル」という製品がある。エクセルはもともとマルチプランというソフトから発展したものである。最近では、ワードという文書処理ソフトと組み合わせて、使い勝手がいっそう向上している。最初にマルチプランを開発したのは、チャールズ・シモニーである。 彼は1948年ハンガリーのブダベスト生まれのユダヤ人である。電気技術者であった父親のおかげで、高校生時代にコンピュータの手ほどきを受け、高校を卒業した1966年にはコンピュータ用言語コンパイラを完成させていた。その後、デンマークで仕事をし、68年に米国に渡りプログラマとして働きながらカリフォルニア州立バークレー大学を卒業し、77年にはスタンフォード大学で博士号を取得した。81年にマイクロソフト社に移り、そこでマルチプラン、ワード、エクセルなどを開発したのである。 彼によれば、コンピュータ用のプログラムを書くというのは、道具作りと同じで、科学と芸術と技術を駆使する作業である。 「そのさい大切なポイントは、第一に、何をやろうとしているのか、目標は何かを明確にすることだ。第一段階は、想像力を働かせ、思いつくことを全部書き出す。紙と鉛筆を使いながら、様々な落書きをし、作りたいプログラムの構造をはっきりさせていく。次に、ようやくプログラム作成、つまりコード化をはじめる。そのさい、鍵になるのは頭にあるデータ構造であって、これがなによりも先だ。構造を心に描くのは芸術で、効率のいいプログラムを書くのは科学である。構造を変えないで、いかに効率のいいコードを記述するか。そこに職人芸がある」と、シモニーはいう。 4.職人と工場労働者何をやろうとしているか。つまりプログラム開発は「ナニ?」から始まるのである。もし日本の一般のプログラマたちとシモニーとの間に違いがあるとしたら、第一に、何をどうすればいいのだろうか?という目標の明確化のさせ方にある。 概して日本のコンピュータ会社では、中途半端にプログラマだ、システムエンジニアだと職種を分け、全体図をわからなくしている。 シモニーはコンピュータを導入したい現場の現実の仕事を最初から最後まで全部実際に見学見聞し、全体を全部理解したうえでシステム設計やプログラム全体の構想にとりかかる。 シモニーはいう。「プログラムを書く人間が増えれば増えるほど、一人当りの実際のコード生産量は落ちる。コードの効率も、プログラムに従事する人間の数が増えるとともに減少する。一人でやるときが、最も効率のいいプログラムが出来る」 つまり、一人で一個の机を作り上げた経験がある職人は、机の構造に関するすべての技術を心得ている。だが、机の部品の製造や、部品の組み立てしかしたことがない工場労働者は、けっきょく机を商店から買ってくる。 コンピュータでも、電気でも、機械でも、いい職人を育てたければ、まずきちんとした製品を独力で作らせてみることだ。 5.視点を変えてもし途中で問題につきあたった場合はどうするか。シモニーはいう。「問題解決は、問題の把握からはじめる。異なった視点でプログラムを眺めるだけで、今まで解くのが相当難しいと思えていたことが容易に解けるようになる。ときには、物事を逆方向でやると、ちょっと前までややこしそうに思えた問題が、突然いとも簡単に解決できることもある。つぎにプランを案出する。そしてプランを実行する。最後に反省を加えて、これでよいか確認する」 問題の把握。これもまた、問題はナニか。ナゼ問題なのか。ドコが問題なのか……と、また疑問からはじまる。 日本人の場合は、しばしば課題の全体像を理解せず、課題への疑問も尽くさないまま作業を始める。 プログラム作成をしていないとき、彼はエジプトの象形文字をかじるとか、他の言語を勉強するとか、旅行をするとか世の中をみてまわるとか、視野をひろげている。 視野をひろげるから、視点を変えることができる。日頃からどういう気分転換をしているかが、発想力の差異、想像力の差異、そして創造性の差異となってくるのである。 それにしても、ユダヤ人の創造性の豊かさには、もうひとつの理由がある。それは仕事のために仕事をしているのでなく、仕事が好きだから仕事をしているという点である。 シモニーも言う。「私がプログラムを書くのは、仕事が好きだから書くのです。プログラムが出来上がると、人が使ってくれる。そして、人が楽しむのを見て、私も嬉しくなるわけです」 人の役に立つ仕事をしたい。だから仕事が楽しい。これこそが技術者に望まれる仕事の原点なのではないだろうか。 (参考文献、『実録! 天才プログラマー』、アスキー出版局、1987) |


