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【新連載:ユダヤ人の発想に学ぶ2】

情報と解釈
手島 佑郎  
(ギルボア研究所所長・ヘブライ学博士)  
 
現代は情報化社会といわれる。だが、情報とはどういうものかについて、これをまともに考えてみたことのある人は意外と少ない。たいてい外部から伝わってくる情報を、そのまま丸呑みしている。
ユダヤ人の聖典である「聖書」には、宗教生活以外の分野へのヒントが豊富である。今回は、情報についての解釈の仕方をめぐって考察してみよう。

1.カラスは何と啼くか

人がヒト社会を形成できているのは、相互の意思疎通能力が高度に発達したおかげである。
もちろん、動物は鳥も獣も、魚も虫も、それぞれ同じ種族同士では何らかの意思疎通をはかっている。
それによって、蟻や蜜蜂、猿や狼、象のように「群れ」という一定の集団を形成する生物もある。
最近の研究によると、植物もかすかな化学物質を大気中に放出して、周囲の草木に情報を発信しているそうである。
情報の発信と受信、それは人間だけでなく、生物全体にとって生存維持のために必要な手段なのである。
そこに発信される情報は、無関係な者にはただの騒音か雑音かもしれない。だが、当事者にとっては、けっして単なる騒音ではない。

たとえば、カラスのカー、カーにもさまざまの種類がある。
筆者は家の前の丘に住みついているサキブトカラスの群れを観察してみて、いろいろな事を知った。
彼らはお互いに安全距離を守っている。それぞれの巣は近くても100m以上離れている。わが家にいちばん近い松の木には、親子3羽のカラスが住みついていて、半径300mほどの範囲をかれらの縄張りにしている。
「ここはオレの縄張りだぞ」と周囲に宣言している時は、カア、カア、と啼く。外敵が近くにいるときは、カッ、カッ、カッ、と警告する。
他部族のサキボソカラスの集団が丘を奪おうと襲撃してくると、丘を根城にしているサキブト集団が一致団結して撃退にかかる。このときは、一斉にガッ、ガッ、ガーッ、と烈しい絶叫だ。
サキボソを撃退し合戦が終わると、我が家の前のサキブトたちはオーッ、カアーッ、カアーッ、と凱歌をあげる。
温かい冬の午前中などは、カラスも気分がいいのか、クルッ、クルッ、ク、ク、クッルと10分も15分もさえずる。ほとんどカンツォーネを歌っている感じである。そのさえずりは、とてもカラスの声だと思えない。

2.チンパンジーの知能

ヒトにもっとも近い霊長類のチンパンジーは、ヒトの3歳の子どもほどの知能があり、色の識別や、欲求の表示、かんたんな数の認識など、さまざまの意思表示ができるという。
ただし、その程度の知能では、生存のための意思表示はできても、高度な思想の形成や思想の表明はできない。この点が、ヒトと他の動物との決定的な相違である。
かりにチンパンジーがカラス以上に賢いとしても、ヒトと同等の知能を持つに至るとはとうてい考えられない。
というのは、チンパンジーにはヒトと同じ言語能力がないからである。鳴き声、吼え声では、感情までしか表現できない。彼等の知能の限界は、彼等の言語能力の限界と軌を一にするのであろう。
彼等は飼い主である人間の意思、命令、感情を感知することはできる。だが、思考を理解するものではない。彼等に人間社会の政治・経済の仕組を話しても、文学や落語を語っても、その内容を理解するのは甚だ困難であろう。

3.ヒトの特性

筆者は1963年春、21歳のときに、イスラエルの国語ヘブライ語を知らないまま、熊本大学の途中からイスラエルに留学した。秋にエルサレムのヘブライ大学に入学した。それ迄の半年間で私が習得したヘブライ語の語彙は、3歳の幼児の語彙とほぼ同じ約300語であった。それだけあれば、日常必要な最低のコミュニケーションはなんとか出来た。
だが、その程度の語彙では、大学の講義はまるで理解できなかった。最初の1年間はただ教室に座っているだけであった。3歳児同等程度の語彙しかなかった筆者には、講義を理解しようとしても、現実は、闇夜にカラスをつかまえるようなもので、ただただストレスの連続であった。
しかし1年後には大学の講義をほぼ理解できるようになった。2年後には、自分の考えを不自由なくヘブライ語で表現できるようになった。
これは、「ヒト」として筆者にもそなわっていた言語能力のおかげであった。
筆者がもしもチンパンジーであったら、何年たっても、最初のあの300語以上に進歩することはなかったであろう。大学の講義など理解できなかったにちがいない。

ヒトは高度な意思疎通と情報交換ができる。それがヒトのヒトたるゆえんである。
しかしながら、高度な意思疎通と情報交換が出来るがゆえに、一方では粗雑な情報交換をしたり、他方では意思疎通を欠いたりするなど新たな問題が発生する。これはヒトにだけ見られる特別な現象である。

4.スパイの報告

その一例が旧約聖書の「民数記」という書物の13〜14章に収録されているスパイ物語である。
紀元前1300年頃のこと、当時エジプトで奴隷生活を送っていたイスラエルの民たち60万人が、エジプトからシナイ半島へ集団脱走した。その最高指導者はモーセという人物であった。集団移住の最終目的地は当時のカナン、現在のイスラエルの地であった。その地の様子を探るために、イスラエル12部族から代表を選抜し、カナン偵察のために派遣した。
彼等は全員イスラエルの民を代表するにふさわしい傑出した人物であった。
彼等は40日にわたって北は現在のシリア北部から、東はヨルダン、南はヘブロンからネゲブ砂漠まで、カナン全土を広範囲に、しかも詳細に調査した。
それはブドウの収穫がようやく始まる初夏であった。しかし、カナンの地ではすでに果物が豊富に実っていた。彼等は、たわわに熟れた巨大なブドウの房や、ザクロ、イチジクを証拠として持ち帰った。そして報告した。
「我々は派遣された地へ行きました。一言で表現すると、あそこは乳と蜜の流れる地です。これはあそこから持ち帰った証拠の果物です。
ただし、あの地に住む民は強く、町々はひじょうに堅固で大きいようでした。我々はあそこで巨人の子孫を見ました。
南のネゲブにはラクダを駆使する遊牧の略奪民族アマレク人が住み、カナンの山地にはヒッタイト人、エブス人、アモリ人が住にでいます。海岸とヨルダン川沿いにはカナン人が住んでいます」

5.報告の解釈は正しいか

この報告は、ほぼ完璧であった。
ただ一点、報告書に難点をつけるとすれば、「その地に住む民は強い」という箇所だけが、何を基準にして「強い」と判断したか根拠不十分であった。
そして、この一点をめぐって、12人のスパイたちの間で解釈が二分してしまった。
10人は、「我々はあの地に攻め上れない。あそこに住む人々は我々よりも強いからだ。あの巨人たちから見ると、我々はイナゴのように小さく映りました」といって、カナン侵攻に反対した。
10人は、最初から相手が自分たちよりも強いものだと憶測し、自分たちは弱いのだと決め込んだ。
武器をたくさん保有していたので、強い相手だと判断したのだろうか。巨体の持ち主ばかりなの強そうだと推察したのであろうか。堅固な城壁で囲まれた都市国家であったから、強い相手だと、スパイたちは判断したのであっただろうか。
もしそのいずれであっても、もし相手に戦意が無ければ、戦う相手として強いかどうかは、また別である。
のちにモーセの後継者となったヨシュアとその盟友カレブは、敵が強そうに見えることには同意するものの、相手が強いかどうかは戦ってみなければ分からないと考え、カナンへの侵攻を主張した。
「もし神が我々に味方するのであれば、神は我々をそこに導き入れる。必ず勝利できる。直ちに攻め上ろう」

6.どのように情報を解釈するか

情報交換や意思疎通の難しさは、じつはこの点に懸かっている。憶測のうえに憶測して結論を出すのか。いわば早とちりである。それとも実験実証しつつ、事実を確認しながら目的にむかって前進していくのか。
仮に事実を客観的に伝えても、受け取る側の解釈は主観的であり、しかも往々にして自分に都合のよい方向への解釈に走る。そうなると、せっかくの情報が台なしになってしまう。
というのも、情報とは、ほんらい各自が自分の幸せを実現するための判断材料であって、情報を生かすのも殺すのも、それは情報を受け取る本人なのである。
カラスの啼き声を、カアーッと聞くか、アホーッ、アホーッと聞くか。どちらもそれは聞く側のヒトの問題なのである。

技術の現場においても、同様なことがいえる。目に見える現象の表面だけをみて判断するか、それとも、現象の背後にひそむ見えないファクターにも注意を向けて判断するか。
技術情報にしても、論文作成者が文字化したことが論文の全てなのか。それとも文字化しなかった現象や、意図的に文字化しなかった事実や、見落としていた化学反応や現象が、技術の現場にあったのではないか。いちどは疑いをもって論文を読み直す。 そこから大きな発展が始まるケースが多い。

ちなみに、12人のスパイたちの報告に関して、イスラエル民族が最終的に選択したのは少数意見のほうであった。
必ずしも多数の意見だから正しいというわけではないことを、聖書の物語は教えている。

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