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【新連載:ユダヤ人の発想に学ぶ5】 ユダヤ人の創造性
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人口1億3千万人の日本は世界第2位の経済大国へ成長した。これは日本人が優秀だからである。だが、世界のさまざまな舞台で活躍するユダヤ人たちの優秀さは、日本人のそれとひと味ちがう。ガンガン努力するというタイプではない。彼らは悲しみ、苦しみ、問題の中から感動を発見している。 1.頭に良し悪しはあるか?とかく世の中では、「あの人は頭がよい」とか、「自分はそれほど頭がよくない」とかいいます。ですが、皆様に改めて問いたい。 ほんとうに頭の良し悪しなどあるのでしょうか。 もちろん人によってその職業への向き不向きといった適性はあるでしょう。 しかし、どのような人でも自分がやりたい目標をもちさえすれば、それに相応しい能力を自分で引き出すことは可能です。筆者はそのように確信します。 なぜならば、もともと人には頭がよいわるいという差違はありません。 問題はどのように自分の才能を伸ばすか……です。 この確信のもとに、もともとある自分の才能をどうすれば伸ばすことができるかに関して、2004年3月からすこしずつ原稿を書き溜めてきました。 それらの原稿に加筆し、再構成したものを、今年の秋に出版する計画です。本の書名は未定です。 その原稿を再読しながら、じつは筆者の考え方の上に、ユダヤ人の習慣やものの考え方が大きな影響を及ぼしているということに気づきました。 2.ユダヤ人の特性ご承知のように、こんにち欧米の思想、経済・文化・ビジネス・マスコミなど幅広い分野で活躍している著名人のなかにはユダヤ系の人が大勢います。日本で有名な外人の10人に1人はユダヤ人です。レヴィナス、グリンスパン、スピルバーグ、マードック……などなど。かれらの頭脳の明晰さと卓抜した才能については目をみはるものがあります。 1963年のイスラエルのヘブライ大学留学して以来、私はこれまでに多くのユダヤ人と接してきました。そのなかで目のさめるような優秀な人々は、その人格のスケール、その仕事への着眼、その行動の大きさ、その頭脳の新鮮さが他のふつうのユダヤ人とはひと味ちがっていました。彼らは、日本人のようにガンガンと努力するタイプではないのです。 そうした人々と永年つきあってきて、最近になって、彼らに共通したある事実にようやく気づきました。 それは一言でいうと、「感動する心」です。かれらは若いときから、そして年齢をかさねて老人になっても、いつも「感動する心」を持っているのです。感動とは、よろこびです。 感動する心を持ち続け、悲しみには深く悲しみ、悲しみが過ぎれば大きく感謝と喜びの心をもつ。つかのまでもその喜びに力づけられて、ユダヤ人たちは2000年の離散の歴史を生き延びてきたのです。そしてユダヤ人独自の文化を形成してきたのです。 3.バアル・シェム・トブの教え18世紀東欧でユダヤ教の復興に功績があったハシディズムという運動の開祖はラビ・イスラエル、通称バアル・シェム・トブでした。彼は、人生の悲しみも、苦しみも、その根源には神がいると人々に教えました。問題の根源をつきとめれば、そこで原因を発見する。原因が発見できれば、対処法法や解決方法も分る。だから、あれこれ問題に遭遇したり、悩んだりすることを肯定的に受け止めるようにと教えました。彼は、深夜ひとりになると、その一日のことを思い出し、反省し、また人々のために神に祈り、その瞑想の時間の中から問題解決への知恵を得ていました。そして自分自身への希望と勇気、また新しく生きる喜びを湧かしていました。 これを、名詩『青春』の作者サムエル・ウルマンのことばで表現すると、「青春とは、年齢ではなく心の持ち方だ」ということになるのでしょう。 しかし、ここで誤解しないでいただきたい。心の持ち方とは、「自分は若いのだぞ」と元気さや健康ぶりを誇示することではありません。 ウルマンは『青春』の詩の中で、具体的に心の在り方について述べています。 「青春とは想像力に富んでいるかどうか、喜怒哀楽の心があるかどうか、興味に向かう勇敢な気性の横溢さ、不思議なものに魅惑される心、次はどうなるかと幼児のような尽きない興。の思い、人生という試合をたのしむ心があるかどうかである」 ゆたかな想像力も、喜怒哀楽の感情も、物事への好奇心も、人生の勝敗を楽しむ余裕も、それはどれも、心が石のように硬直していて無感動でいては出来ないことです。 もう一度申しあげます。悲しいときは深く悲しみ、嬉しいときは大きく喜ぶ。その心の柔軟性こそが感動なのです。バアル・シェム・トブが指摘しています。「快楽がずっと続けば、もはやそれは快楽でない」と。悲しみがあるから、喜びもあるのです。 バアル・シェム・トブの教えを私達の生活に応用すると何が言えるでしょうか。日常的生活の中でマンネリズムを打破すれば、いつでも新鮮な感動、新鮮な視点を持つことが可能になるということです。 4.作詞家アモス・エッティンゲル先日、6月5日から12日まで、筆者はとんぼ返りでイスラエルへ行ってきました。出発のときの東京の気温は20度そこそこでしたのに、現地はいきなり気温37度、38度。まぶしい真夏でした。日本との気候の格差が、まず筆者の感動心を高めました。 いくつかの重要な用件を済ませた中で、思いがけない人物に出会いました。 それは、アモス・エッティンゲルでした。彼は、イスラエルではその名を知らない人はいないほどの超有名な作詞家で、テレビ番組制作もしています。1937年生れ。といっても、いたってざっくばらんで、誰とでも気さくに話す。物静かで、サンダル履き。自家用車は韓国のヒュンダイ社製。どこにいても目立たない。 高校生時代の彼はシャンソンに興味を持ち、それがきっかけで軍隊に入る前にリュックサックと寝袋1つを担いでフランスに足を伸ばし、パリでシャンソンに入り浸った。さらに英国にも行き、ロンドンで劇場に通った。兵役を2年間猶予してもらい、1957年に帰国し、イスラエル軍に入隊。 イスラエルというのは面白い国で、演劇や歌唱に才能のある若者が軍隊に入ると、そういう若者だけを集めて、中央軍司令部直属娯楽部隊を編成させていたのです。表向きは、彼は戦車部隊所属でしたが、兵役期間の2年間ずっと娯楽部隊に配置されていました。その兵役の1957-59年の間に、彼は作詞家としていきなりデビューしました。武骨な軍歌の代わりに、若者が好きになる新しい歌を軍隊用につぎつぎに作詞し、大人気を博したのです。 1961年にイスラエル国営放送の専属となり、レギュラー番組「昔はこんな時代もあった」を担当し始めます。1970年にはイスラエルテレビに移り、「こんな人生」という対談番組の企画からインタビュー役までこなしてきました。 その間、彼は数えきれないほどの詩を発表し、どれもその時代の愛唱歌となっています。彼はすでに71歳。しかし、彼が最近作詞した歌も若者の間で大人気です。詩集も5冊、小説も1冊出版しています。 5.驚きと喜びじつは、筆者は1968年と69年に彼と出会ったことがあります。最初はイスラエルで、2回目は東京でした。筆者にとっては、彼との出会いは記憶の彼方の記憶になっていました。ところが、今回、筆者がイスラエルに来ることを共通の知人から聞いて、「ぜひヤコブ・テシマに会いたい」と彼のほうから申し出があり、一緒に食事をすることになりました。それも1度ならず3度も食事をしました。なぜ筆者と食事をしたいのかと理由をきくと、「40年前に私が作詞したばかりの歌『シャラム・アル・シェッフ』を、君が歌って聞かせてくれたからだ。それも東京で……! とても感激したのだよ。以来、君のことを忘れていないよ」と、彼は答えました。 「あれは私にとって驚きだった。しかも嬉しかった。あれ以来、相手をどのように驚かせ、しかも当人をも含めて皆を楽しませるか。それを課題にして私はさまざまの番組を作ってきた」 「ついこの前は妻をびっくりさせた。彼女の誕生日にイタリアレストランへ行こうと誘ったのだ。彼女がレストランに入ってみると、そこはロシアレストランで、しかも彼女とごく親しいロシア人ばかり20人ほど招待してあった。彼女はウクライナ出身なので、大びっくりした。全員でとても愉快にすごした。驚きと喜び。それが私のテーマだ。そのために色々情報を集め、知恵をしぼる。肉体的な加齢は仕方がないが、心はいまも20代のままだよ」 そう言って、アモスは筆者のほうに向き直り、にっこりと微笑みました。 6.ユダヤ人の創造性小さな出会いや新しい出来事でも、それを自分の内に取り込んで、自分なりに組み立て、新しい喜びと感動に仕立てる。それが演出家アモスとしての成功の秘密なのです。思えば、アモス・エッティンゲルのこの姿勢こそは、ユダヤ人に広く共通している創造性の原点でもあります。 彼らは感受性ゆたかに自分の感覚を活用し、人々や物事に出会うと、そのときの自分が感受した印象や感動、疑問や不審を記憶する。つぎに、それらを材料に、改めて原点から物事を考え、想像力ゆたかにそれを再構築する。そして自分のことばと論理で表現し、最終的には自分の意見や作品として完成するのです。 彼らはまた、過去の記憶を大切にし、未来への想像も自由奔放です。 今回のアモスとの再会は、これからの彼との出会いの入口です。お互いに何を感じ、何をつかもうとしているのか。そして何をこれから組み立てていくのか。 次の出会いがたのしみです。 それにしても、人々との出会いの感激と感動の記憶はいつまでも大切にしたいものです。 |


