前のページへ戻るホームへ戻るテクノビジョダイジェスト
 
【新連載:ユダヤ人の発想に学ぶ6】

ソルジェニーツィンの死とロシア
手島 佑郎  
(ギルボア研究所所長・ヘブライ学博士)  
 
 ソルジェニーツィンは、しばしばトルストイと比較され、20世紀のロシアが生んだ預言者になぞらえられている。至近距離から見る実像は、ロシア人のために反体制派抑圧の歴史を記録したのであって、必ずしも世界のために告発したわけではない。それは聖書に登場する預言者がその時代の指導者を鋭く糾弾したのと似ている。結果としては、愛国心の悲憤が真実の発露となって普遍的な歴史に残るのである。

1.ソルジェニーツィン

 1970年ノーベル文学賞を受賞したアレキサンダー・イサヤヴィッチ・ソルジェニーツィンが、8月3日に89歳で世を去った。
 彼が1918年12月に生まれる半年前に、砲兵士官だった父イサーキは第1次大戦中に亡くなり、彼は母親の手ひとつで育てられた。
 父親の名「イサーキ」、本人のミドルネーム「イサヤヴィッチ」に着目すると、少なくとも彼の父方の家族は代々ユダヤ系であったようだ。
 彼は少年時代から共産党活動に参加し、少年ピオニール、青年コムソモールの模範隊員であった。ロストフ大学で数学と物理学を専攻し1941年に卒業後、戦争勃発で軍隊に入り、偵察部隊の指揮官として3年間活躍する。
 ところが、第2次大戦末期の45年2月に秘密警察によって逮捕される。それは、前線から友人へ送った手紙の中で記したスターリンのことを形容した「あの髭の男が」という一語にあった。
 彼が忠実な共産党員であるにしても、その言動には権力者への尊敬の念に欠けているという理由で、重労働8年の刑を課せられた。最初は木材伐採などの重労働をし、 47年にモスクワ近郊の特殊刑務所に移され、そこで科学研究を命じられた。だが、所長の科学研究論文を公然と批判したために、環境劣悪なカザフスタンのエキバセツ収容所(ラーゲリ)送りとなった。刑期満了後も、カザフスタン東部の田舎の開拓村に送られ、そこでの永住を命じられる。
 1956年になって、ようやく流刑を解かれ、ロシア地方都市で学校教員になった。

2.文豪ソルジェニーツィン

 彼の座右の銘は、「真実な1語は全世界の重さにまさる」というロシアの格言であった。それをもとに、彼は「ウソをつくな。ウソに加担するな。ウソを支持するな」と机のわきに大書し自身を戒めていた。
 そして1962年に、エキバセツ懲罰収容所の体験をもとに収容所の生活『イワン・デニソヴィッ`の1日』を描いた。
 ソ連政府が秘密にしていた政治犯収容所の実態を告発した点で、これはソ連知識人に大きな衝撃を与え、彼は一躍有名になった。
 だがこの作品が公表できたのは、スターリン体制に批判的であった当時のソビエト政府の最高指導者フルシチョフ書記長の許可によるものであった事実を忘れてはならない。
 その後フルシチョフが失脚しブレジネフ政権に変ると、ソルジェニーツィンは言論の冬の時代を迎える。
 69年に発表した『ガン病棟』は国外での出版であった。彼は70年のノーベル賞を受諾したものの、政府に憚って授賞式に出席しなかった。
 73年秋に彼の大著『収容所群島』の原稿がKGBに押収され、タイピストが自殺する事件が起きた。だが彼はすでに原稿のコピーをパリとロシアの出版社に送っており、彼は12月にパリとロシアで同時に出版した。74年2月、彼はKGBに逮捕され、そのままドイツへ追放される。その後、米国へ渡り、18年間を米国北東部カナダに近いバーモント州の田舎で過ごした。
 彼は78年にハーバード大学の卒業式に招かれて記念講演をした以外は、1994年5月にロシアに帰国するまでの18年間、ほとんど山荘に閉じこもり、外部との接触を忌避した。
 その理由は、米国資本主義社会の生活が、彼の目には、人間性の堕落だと映ったからだ。彼は米国のベトナム介入に反対した。彼は米国の新聞社や報道機関は個人の私生活を暴き過ぎると非難し、米国の音楽は低俗で我慢できないと不平を洩した。
 そもそも西側文明は「人間」の扱い方を知らないのではないか。そこまで彼は欧米不信であった。
 彼にノーベル賞を与えた人々の価値観を拒否した点で、彼は矛盾にみちた人物であった。

3.ソルジェニーツィンの実像

 彼がバーモント州の田舎とはいえ、そこで18年間を過ごしたのは、単純にソ連からの暗殺者に対して自己の安全を守れるという理由であった。
 彼はスターリンの独裁体制と秘密警察のシステムを批判したが、彼の理想はあくまでもソビエト共産主義であった。
 彼はロシアに自由をもたらしたゴルバチョフを評価しなかった。ペレストロイカといっても、犯罪の増加、汚職の増大、公共サービスの低下をもたらしただけだと、彼は名ばかりの民主主義に幻滅した。しかも、強大なソ連邦の盟主としてのロシアの地位も失ってしまったではないか。
 エリツィンの政権奪取も、結局、ロシアの威信回復につながらず、むしろロシアの国際的に孤立し、祖国の地位を低下させたと、彼は失望した。
 ゴルバチョフも、エリツィンも彼に国家栄誉賞を贈呈しようとした。だが、国家の威信を下げた指導者から表彰されたくないといって、彼は受賞を断った。
 しかし、彼はプーチンの台頭にはエールを送った。「彼のおかげでようやくロシアの威信が回復した」といって、2007年、プーチン大統領から国家栄誉賞を受領した。
 1973年にナタリア・スベトラと再婚したさいには、モスクワのロシア正教会で結婚式を挙げている。彼自身は無宗教であったが、帝政ロシア以来の優雅な伝統と文化を誇りにしていた。
 彼は、古き良きソ連、古き良きロシアを理想とする熱烈なロシア国粋主義者だったのである。

4.ソルジェニーツィンへの無関心

 ところで、94年に帰国したが、彼はロシア国民から英雄として迎えられたわけではない。モスクワの彼の自宅にロシアの知識人、文化人が次々に訪問したわけでもない。ロシア国民全般には彼の死を悼む雰囲気がほとんどないという。
 その理由の1つは、彼の著作がロシアの民主化や自由化への扉を開くことに貢献したと肌で感じている人々、つまりスターリン時代を経験した人々が、彼と同世代か、もしくは70歳代以上の高齢の人々だからである。人口1億4000万人中、65歳以上のロシア国民はわずか1980万人、14%しかいない。
 国民の平均年齢が38歳。現在の国民の大半は1987年に始まったペレストロイカ以後に育った人々なのである。
 彼らは、ソビエト時代の反体制家を代表する「水爆の父」アンドレ・サハロフの名も、ソルジェニーツィンの名も知らないで育った。ましていわんや、『ドクトル・ジバゴ』の著者ボリス・レオニードヴィッチ・パステルナーク(1890-1960)については全く知らない。彼はソルジェニーツィンの1世代前の1958年にノーベル文学賞に選ばれた。パステルナークは反体制作家というよりも自由を愛する教養人で、幅広い知識と交友を持つ詩人であった。彼は、ソビエト当局の圧力によって1958年のノーベル文学賞を辞退させられた。
 ロシアの学校では現在も反体制家のことを教えない。教えるのは帝政ロシアの栄光とソビエト共産党の歴史、欠陥もあったがソ連を東西の覇者にしたスターリンと、今をときめくプーチンの実績だけである。
 ロシアの今の若者は消費にだけしか関心がない。簡単で、速く、より良い物の消費を好む。彼らは娯楽第一、経済第一である。彼らは殆ど本を読まない。人気のある有名人には関心を示しても、科学や芸術、文学などの分野で偉業を達成した偉人を求めなくなっている。

5.ロシア人の「インテリ」定義

 日本では知識人のことをインテリという。これはロシアの造語「インテリゲンチア」の略である。日本では、インテリとは「知的生産に従事する西欧派自由主義者群」のことだと理解されている。欧米では、「才能ある知識人で、反面で国家から弾圧されている良心派の人々」だと理解されている。ところが、ソ連時代のロシアでは、インテリとは、「国家の目的のために召集され、手厚い保護と特権を有する文化人、とりわけ科学者、芸術家の集団」、御用学者をさしたのである。
 それだけに政治指導者が変り、庇護者が変るたびに、ソ連のインテリは新しい指導者にすりよる。それがロシアのインテリ体質なのである。
 ソルジェニーツィンはフルシチョフの庇護を受けたインテリゲンチアの1人であった彼が帰国したとき、ゴルバチョフもエリツィンも彼を出迎えた。そのとき、彼がゴルバチョフやエリツィンの歓迎に応じておれば、ロシアのインテリも国民も彼の支持にまわったかもしれない。だが、それを拒絶した彼は、もはや古い亡霊だったのであ る。しかも、プーチンが絶大なKGB王朝を築くに至って、人々はソルジェニーツィン に近づくことさえ恐れ始めた。ソルジェニーツィンはその死によって、事実上、国民から殆ど完全に忘れられた存在となった。
 2006年に実施された世論調査では、ロシア国民の79%が「インテリゲンチアの影響力はない」と応えている。41%の人々が「インテリは国民の利益のために奉仕すべき で、そのためには国家権力から保護されるべきだ」と答え、19%の人々が「インテリは権力と国民との利害の衝突を仲介調整すべきだ」と考えている。
 いまやロシアにとって必要なのは反体制派インテリでもなければ、核開発科学者でもない。ロシアには捨てるほど核兵器がある。それに世界中から渇仰されている石油や天然ガス、地下資源もある。
 ロシアに必要なのは、「有能な経営者と、豊富な資金を効率良く運用するビジネスマン」なのである。それもクレムリンに忠実な経営者とビジネスマンなのである。
 さて日本にはロシアのような恐怖にみちた専制政治も独裁政党もない。日本のインテリは国家の手厚い保護もない代わりに、いたって自由である。
 しかしながら。日本の知識人は、科学者、技術者も含めて、十分に国民のために応えているであろうか。いま一度、自分たちの才能を発揮する目的を再確認すべきなのかもしれない。

前のページへ戻るホームへ戻るテクノビジョンダイジェスト