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【新連載:ユダヤ人の発想に学ぶ7】 ロシアとプーチンを理解するには
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欧米と比べると、ロシア事情は我々にとってなじみが薄い。だが、世界の政治経済に占めるロシアの役割は、今後飛躍的に増大するでしょう。そこで今回は現在のロシアの状況を理解する鍵を提供します。本稿は、日本におけるロシア研究の権威者・鈴木博信先生(桃山学院大学教授)の著書『ナポレオンからスターリンへ』や、訳書『強奪されたロシア経済』、そして先生ご自身のお話をもとに、まとめ直したものです。 1.プーチンの政治手法鈴木博信教授とお話をしていて、とても明快なロシア論を教わりました。ロシアという国は、自由になると混乱し、強権者が現れるとまとまるというDNAを持っているということです。 1990年ソビエト共産党の一党独裁体制を放棄したゴルバチョフは、ロシア人に自由をもたらしました。 だが、91年にエリツインが軍事クーデタでゴルバチョフをひきずり下ろし、大統領の座に就きました。 自身の健康不安に加えて、自分と家族の安全を案じたエリツィンは、99年8月、とつぜん彼の警護隊長プーチンを首相に任命します。そして彼を抜擢したエリツィンの側近たちに支えられて、2000年3月には大統領に就任しました。 だが大統領に就任すると、プーチンは徐々に「大統領府」、つまりクレムリンに権限を集約し、ニュークレムリン閥と呼ばれる彼の子飼いの職員を増やし、大統領府の職員数を1万人にしました。他方、カシヤノフ首相、ヴォローシン大統領府長官を解任するなど、エリツィン時代から旧勢力の一掃にとりかかりました。後任首相にはロシアのEU代表を務めた経験蛾あり、EUからの信頼もあるKGB出身のプラトコフを抜擢しました。 ですが、その実態は、政府を大統領の言いなりになる「ゴム判」政府にしたのです。 さて2004年の第2期目の大統領選拳でプーチンは圧勝し、さらに大統領権限を強化し、事実上、共和国的皇帝になっていきます。 彼は国会のゴム判化もすすめました。1期目の国会では、彼の与党である統一ロシアの下院議席は下院定員450人中81議席しかなかったが、選挙で右派同盟や左派の共産党を蹴散らし、前回選挙で304人に躍進させ、現在は315人。3分の2以上を占めています。 エリツィン時代には、ロシア国会の上院では、全国84の道州知事、大都市圏議長がそのまま上院議員になっていました。プーチンは、まず道州知事解任法という法律を作り、大統領の意に添わない知事たちを即刻解任できるようにしたのです。それに加えて、上院議員は道州の知事や議長の指名する者とすると制度を変え、大統領に恭順な者だけを上院議員に任命するシステムにしています。 2.身内で固めるプーチンプーチンは就任当初10年間で所得倍増を公約していました。当時は石油が1バレル20ドル位だと、ロシア経済の収支がつり合う構造でした。そのためには年8%の経済成長が必要でした。しかし最近の石油価格上昇のおかげで、99年外貨準備高120億ドルだったのが、2007年では約40倍の4700億ドルと、国家財政は超豊かです。現在ロシアのGDPは2兆880億ドルです。ロシアは大国のように見えます。2007年現在では歳入2990億ドル、歳出2620億ドル。1人当りGDPが1万4700ドルです。ちなみに、日本のGDPは1人当3万3,800ドルです。 だが、2003年頃のロシアの国家予算はニューヨーク市の予算のほぼ2倍の年間400億ドルで、GDPは1人当り年3000ドルしかありませんでした。しかも当時、国家予算の約1割が賄賂として消えていました。 ソ連時代に100万人であった官僚が、いまや200万人にも増えているから、賄賂として消える額は、量りしれません。 ソ連時代は、共産党が国家を所有していました。より厳密に言うと、政治局と書記局が国家を所有していました。 政治局・書記局には「ノーメン・クラトゥラ、NAME CARD」と呼ばれる氏名一覧表があり、そこには共産党が直轄する重要な職務に任命された全員の氏名がしるされています。これが転じて、共産党員1700万人中の極少数の特権支配層をノーメン・クラトゥラと呼ぶようになっていました。 プーチンはそのノーメン・クラトゥラの中から、元KGB出身で、なおかつ同郷ペテルスブルグ出身者を重用し、身辺を固めています。彼は既存の政府とは別に、全国を大統領府直轄の7つの特別管区に分け、その下に2000程の公共庁を設置し、いわば江戸幕府直轄の奉行所のような目付け役を担わせています。 彼はまた報道の自由をしめつけ、ロシア最大のTVネットワーク、NTVのグシンスキーを米国へ追い出して以来、主なテレビはクレムリンの支配下におかれるようになりました。 彼が官僚に命令を下している画像をテレビで全国に放映し、いかに自分が国民のために一生懸命仕事をしているかというイメージを演出します。テレビを使って、国民に皇帝プーチンを支持させます。 彼が目指しているのは、さまざまの勢力や派閥、利益代表を網羅する翼賛政党の創出と、その安定の上に絶対権力をふるう皇帝政治なのです。 3.オリガルヒとプーチンさて、ゴルバチョフがソ連を解体し、自由な資本主義社会への転換を図らせようとしたとき、そこに登場してきたのが20代の若者を中心とするコムソモール(青年共産同盟)のメンバーたちでした。エリツィンは経済に疎かったので、コムソモール(青年共産同盟)のメンバーの中でインテリの若者たちに経済自由化の仕事をまかせました。 彼らはエリツィン・ファミリーに食い込んで、国家の資金をバックに共同体企業を起こし、権力と結びついて資本主義企業実験をはじめ、次第に国家の天然資源などの利権を獲得し、急速に大企業を形成し、一挙に億万長者になりました。この新興財閥をオリガルヒといいます。 オリガルヒは経済に専念し、利益をエリツィンに還元するが政治には介入しない。いわば政経分離の関係でした。 だがオリガルヒの力が強大になるにつれ、彼らは経済のグローバル化だ、言論の自由だ、政治の批判だと、うるさい存在になってきました。 その代表選手3人のトップが、エリツイン政権のキングメーカーとまでいわれたベレゾフスキーです。彼は幾つもの金融機関を有し、石油会社シブネフチや東シベリア天然ガス会社のオーナーで、ロシア公共テレビも所有していました。 次のグシンスキーは、モスクワ燃料会社とモストバンクのオーナーで、NTVも所有していました。3人目のホドルフスキーは、工科大学出身、24歳でコムソール副書記になり、従業員4000人の軍事用レーザ開発機関、高温研究所を作りました。そこに国家の金をどんどんつぎ込ませ、28歳で持ち株会社のメナテップ銀行を作るという切れ者でした。 彼らのような代表的オリガルヒから見れば、エリツインも、プーチンも資本主義の仕組みを知らない田舎者に映ります。彼らは、資本主義はこうあるべきだと確固たる信念の上で、次第に政治批判をしはじめました。 そこで、プーチンは2001年にベルゾフスキーをロンドンに追放し、グシンスキーも逮捕の上、アメリカへ追放してしまいました。 最後に残ったホドルフスキーは、2002年初めから公然とプーチンに挑戦しはじめました。 彼は当時、ロシア最大の石油会社ユーコスの社長として、財産1兆円という大富豪でした。その資金を土台に左右両派の野党に献金をし、反プーチン勢力結集を図りはじめたのです。他方、ユーコスの経営の透明化をはかり、ホームページ上で全株主を公開するとか、株の半分を米国企業に所有させ、米国の弁護士も入れるなどをしてきました。 プーチンは、そのホドルフスキー潰しにかかりました。 2002年10月、会社経営に不正があったという容疑で彼を逮捕し、最終的にはユーコスを国営化という名目で、プーチンの直接支配下にきました。 こうして反プーチンの最後の砦も解体させた。現在残っているオリガルヒは、プーチンに恭順な者たちだけです。 4.KGBとプーチンロシアを理解するためのもう1つの鍵はKGBです。帝政時代、ロシア皇帝を蔭で支えていたのは、秘密警察でした。ソ連共産党の時代になると、秘密警察がKGBとなり、プーチン政権になって、それがKGBとFSBの2局に改変されています。 ロシア国民は、改革を求めるが、改革をすると社会が不安定になり、それよりも強権支配の下で安定化することを望むということを繰り返してきたのです。 1917年の「2月革命」後の7ヶ月間は、本当に民主的で自由な期間が出現しました。だがレーニンは「10月革命」を決行し、「ソビエト」の名において全権力を掌握し、野党を全部抹殺しました。以来、反体制派弾圧はソ連共産党の裏面の伝統となります。 レーニン時代、スターリン時代にソ連共産党は多くの知的エリート、良心ある国民を粛清しました。その数は3,000万〜2,000万人と言われています。 そういう中で生き残った数少ない良心派の一人が、ゴルバチョフでした。彼は、本当の民主的な共産主義を作りたいというロマンをいだいて登場し、1988年に草の根の人民代議員大会という本来のソビエトを復活させました。 しかし、これも93年10月エリツィンによるクーデタで崩壊します。議会に立てこもった代議員800人を虐殺し、非合法な手段で議会を制圧し、政権を奪取し、彼はすべての法律に優先する「大統領令」というシステムを確立しました。 エリツィンの後を継いだプーチンはそれをより強固にし、いまやKGBクレムリン国家体制、クレムリン任命官僚資本主義へと進みつつあるのです。 メディベジェフ大統領といえども、プーチンの傀儡。偉大なロシアの夢と誇りは、プーチンを外れては有り得ない。そのように多くのロシア国民は信じ、期待しているのです。 それにしても、ロシアという国は不思議な国です。ユダヤ人マルクスの共産主義理論を借り、レーニンと表裏一体でソ連共産党を築いたユダヤ人実務家トロツキーをレーニンの死後は追放し、クレムリン資本主義を考案したオリガルヒの3ユダヤ人をまた追放する。ロシアにおけるユダヤ人のn位は、いつまでも農奴時代の扱いから抜け出ていないようです。 |


