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【新連載:ユダヤ人の発想に学ぶ10】

多数派の危険
手島 佑郎  
(ギルボア研究所所長・ヘブライ学博士)  
 
世界は、先進諸国も、発展途上国も未曾有の金融混乱の中で、あたふたとしている。こういう時は、あえて別の視点から現実を眺めることも意義がある。まず、次のユダヤの格言2つをじっくりと味わっていただきたい。

◎金銭に関して多数の後を歩くなかれ。〜「タルムード」ババ・カマ篇27〜
◎生命の危機に関して多数の後を歩くなかれ。〜「タルムード」ケトボット篇16〜

1.新年度の魅力

まもなく多くの企業が4月から新年度を迎え、新しい目標に向かって動き出している。世の中の景気が悪いとはいえ、学校も新学年度、役所も新年度。新しいということは嬉しいことである。気分一新、爽快にさせてくれる。
新、new, neuf, neu, nova, neo, kainos, hadash, gideed……、中国語・英語・独語・仏語・露語・ラテン語・ギリシャ語・ヘブライ語・アラビア語のどの国語をとっても、「新しい」という意味の単語には力と希望が感じられる。
なぜ「新しい」ということばには力と希望があるのか。それは可能性に満ちているからである。
新年度という制度は、人々に可能性に気付かせ、可能性に目覚めさせる。可能性を忘れてしまっていた者らを再度スタート台に立たせ、見失っていた可能性を発掘させる。それが新年度の意義なのである。

2.新しいことにも区別がある

ところで、日本語で「新しい」といっても、大抵の人々は、「それは要するに新しいだけのことである」といって、新しさの内容・性質とは何か? までを吟味することは滅多にない。
英語では、「新しい」と言うにも類語がいくつもある。
まずnew:これはoldに対して、以前には存在しなかったものを指す。freshは、新しくてまだ最初の形・性質・生気が失われていない新鮮さをいう。
英語にはnovelという形容詞もある。これは新しい上に、今までのものと違った非常に珍しい性質をもった斬新さである。転じて小説の意味になった。
modernという場合は、古代や中世の古さを一切感じさせない現代の最新式の新しさである。
rescentは時間的に比較的相対的に新しいという意味であって、単位次第ではrescent geological age(最近の地質学的時代)などと言っても、じつは数百万年前をさすこともある。
最後にoriginalは、その種類としては最初に出来たものの意味である。創造性・独創性を感じさせる。

3.新しいということの本質

新年度といっても、どの新しさを追求するかによって、事業目標や仕事の目標も大きく違ってくる。
もしも年度だけ改まって、中味が変わっていないのであれば、それは単なるrenewalにすぎないのである。
renewalとは古く傷んだ部分を取り替えるだけのことである。外見は新しくても、古い本体がそのままになっている。そのため、renewalには幻滅することが多い。
つまり、新しいということは、本質的に新しいかどうかが問われているのである。
新年度になって新目標をかかげても、年度を遂行する人々の心が新しくなっていないなら、未だ新しくはないのである。
フレッシュな新new社員が入ってきても、古い先輩社員が古い心で古いやり方のまま仕事をしておれば、innovationはおろか、reformも、renovationもできない。
既存スタッフはたしかに戦力の中核かもしれない。そうだといっても、これは経済環境や取引環境が厳しいといいながら、それは旧態依然の条件下においてのみ成立する「戦力」なのであって、環境の変化に対応できるかどうかまでは、じつは保証していないことだ。
現有社員が日々新しい気持ちで、自ら新しい目標に向かって日々努力しているのでなければ、innovationは有りえないし、新new社員も育たない。

4.リニューアルを失した日本

バブル崩壊後、この20年余り日本の企業や政府がやってきたことは看板のかけかえ、スローガンの言い替えばかりであって、旧体質が残る本体の刷新はしなかった。それはrenewalでさえなかった。それは、癌細胞や癌組織を部分除去しても完全除去しないまま、大量の栄養剤とビタミンを投与するようなことであった。
この結果、本体はぶくぶく太ったものの、抵抗力のない体脂肪過多の肥満になっただけである。それどころか、多量の栄養剤とビタミンのおかげで、癌細胞もまた急速に増殖してしまっているのである。
いま日本の政治・経済に求められているのは、ことば優しい内科医ではなく、患者に苦痛の我慢を要求し患部を切除する外科医である。八方美人の政治屋ではなく、峻厳な政策実行の鉄腕宰相である。仕入先と社員に愛想がいい旦那ではなく、顧客第一主義に則って営業戦略を考える経営者である。彼等に求められていることは経費削減でも人員削減でもない。慢性的に化膿した思考患部の切除と早期思考治癒である。

5.役立つ政治家・経営者

外科医の評価は、どれだけ経験を重ねているかによって、今後の手術も大丈夫であろうとの保証で決まる。
だが、政治家や経営者の善し悪しは過去の経験如何を問うものでない。なぜなら、政治や経済はつねに流動的であり、つねに未来に向かって発展的であるから、過去の経験は殆ど役立たない。只今より後の而今の未来に対してどう取り組むかが、つねに問われているのである。
政治家がどれだけ修羅場をくぐり抜け、それでいて理想を失わなかったかは、政治生命が終わった時点での評価にすぎない。
経営者は、どれだけ危機を乗り越え、顧客、社員、仕入先の支持を失わなかったかによってその手腕が評価される。だが、そうだからといって今後も彼が経営に役立つ保証にはならない。
現在と未来にいかに役立つか。それだけが政治家と経営者の資質を評価するポイントである。過去の成功例でもって現在の問題への対処能力を計るわけにはいかない。経営でも政治でも、過去の処方箋がそのまま現在に通用するという具合にはいかない。
指導者に任じられた者は、経営者であれ政治家であれ、進むべき方向を選択決定しなければならない。だが、それがどんな道であるのか、詳細までを知っているわけではない。

6.小泉劇場の舞台裏

例えば、過去に小泉純一郎氏が自民党第20代総裁に選出されたときも同じであった。「自民党をぶッ壊すつもりだ」と彼が叫んだとき、彼には郵政改革よりも何よりも、まず自民党への信頼回復とが必要なことだけを考えていた。
だが、それをどのように彼が進めるかは、彼とても事前に知り尽くしているわけでなかった。だが、氏はまずみずから考え、つぎに多くの人の意見に黙って傾聴し、最後には自分自身の考えだけで判断し、決断し、行動し、何と5年有半も政権の座にいたのである。
とりわけ、彼の政権を大成功させたのは、いわゆる「郵政改革選挙」で、大量の新人議員が当選したことであった。あれは、自民党の若手中堅の塩崎恭久氏のアイデアであった。
氏は、自民党が脱皮するためには、一般市民の浮動票を魅了するような政党にならなければいけない。そのためには、一般公募で国会議員候補を募らなければいけない。それを小泉総裁に進言した。当時、自民党の殆どの幹部のが、この提案を無鉄砲だといって反対した。だが、小泉氏は、総裁としての自分の考えと責任において、国会議員候補者の一般公募を塩崎氏に一任した。応募者選考の実質責任も彼に委ねた。

7.指導者の責務

いずれにせよ、大切なのは指導者自身の自分の判断である。多数派の意見だからといって、それに与しないことである。少なくとも多数派の意見に右顧左眄しないことである。 とりわけ予算の配分や利益計画に関しては多数派の意見に左右されてはならない。 ユダヤの法典「タルムード」はいう、「金銭に関して多数の後を歩くなかれ」と。なぜならば、一般に多数は目先の利益を求め、中長期的視野で利益の建設を考えないからである。
例えば、関東大震災の後、時の東京市長・後藤新平は東京の抜本的区画整理や大型道路建設を提唱したが、百年の計を考えない多数意見によって計画は途中で断絶した。対照的に、美濃部都知事は選挙の支持母体である革新系団体の羽田空港拡張計画反対におもねった。そのため新たに成田空港を建設せざるを得なくなり、ひいては今日の首都国際空港の不便不備を招く原因となった。
同様に、社会福祉や人命救助といった分野での判断も多数意見に左右されてはならない。なぜなら人々は経済生産効果が見えない事業への投資を惜しむからである。安心して働けるために社会福祉や人命救助システムの整備が必要だという意見を認めるとしても、人々はその実施には消極的だからである。病気になったことがない人には本当には健康の有難みも医療の価値も分かってもらえない。
タルムードはまたいう、「生命の危機に関して多数の後を歩くなかれ」と。これは、もともとは逃げるときには、大勢と一緒に逃げれば、いっそう危険が増すという警告である。だが危険でないときでさえ、人々は危険と隣り合せに座っていて、その危険度に無関心なのである。そんな無関心の人々と一緒に団体行動すると、たちまち集団暴走のスタンピード(stampede)現象に駆られてしまうのが落ちである。

8.多数の危険

新年度を迎えるにあたって、読者各位はどのように新年度方針を提示されるのであろうか。別のユダヤの格言はいう、「多数の後につき従って道に迷うなかれ。多数が賢明とは限らないからである」(ミシュレイ・アサフ)と。
巷に流布している批評家のコメントやマスコミの論評にも、是とする部分はある。だが、あなたは、本当は何をしたいのか。何を望んでいるのか。何を革新したいのか。その点を熟慮した上で、どう目標を示すか。今や、独自の考えによって立つのでなければ、世間に流されかねない時代となった。


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