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【連載:MOTリーダーの条件 〜情報マネジメントが開く経営者の世界〜5】

個人と組織能力を高める「もうひとつの技術」
〜経営成果を生む組織の情報基盤〜

経営・情報システムアドバイザー
森岡 謙仁  
(アーステミア有限会社 代表取締役)  
 
「自己実現」という言葉は、技術者だけでなく、組織の多くの人達が好む言葉でもあります。組織の活動が成果を生むためには、自己実現の欲求を持つ個人の能力を引き出すだけでなく、一人ひとりの力を統合しなければならないことは、周知のとおりです。加えて、専門的な固有技術が社会の成果として認められるためにも、これまでこの連載で述べてきたように、組織の活動を通じて実現する必要があるのです。

■技術者の個人能力を組織能力に変える情報基盤

単に自己実現を主張するだけでは、かえって組織活動の邪魔になることを、学生でさえ知っているのです(注1)。一方で自己実現という言葉は、仕事をする個人の意欲を引き出し、能力を向上させるモチベーションを個人と組織に意識させるという重要な要素でもあります。
技術者の個人能力を組織能力として活かすためには、組織は、以下の環境を整えなければなりません。
第一に、個人の主体的な意思と組織の目的や目標とを共有するだけでなく、個人の行動を方向付けるとともに行動の結果を組織の成果として評価できるようにしなければなりません。
第二に、市場が要求する固有技術や知見を知るのとあわせて、その固有技術や知見を満たす個人をどのように組織するかについて、意思決定できる情報を提供できるようにしなければなりません。
第三に、個々の技術者は、自らとチームとしての仕事ぶりと成果および、その成果に対して組織が与えた評価に関する情報を知ることができなければなりません。
これらの環境を整えることで、自己実現の欲求をもった個人がその能力を発揮し、自らの技術を組織成果に結びつける形で貢献し、成果を生みやすい組織能力を有することができると考えられます。
個人が生きるために空気を呼吸するように、固有の技術やその他の経営活動とのやり取りを通じて組織成果に結び付ける基盤が必要になるのです。この基盤を情報マネジメントの視点からは、情報基盤といいます。
このような情報基盤は、「ものつくりの技術」を支援する「もうひとつの技術」と言ってよいものです。

■「もうひとつの技術」としての情報基盤とは

それでは、情報基盤とは、どのようなものでしょうか。次頁の図を御覧ください。
情報基盤は、以下の階層から構成されています。
  1. 人の階層;個人とそれが有する情報、人と人が連携して組織機能を実現するために必要とされる情報の集合のこと。
  2. 業務プロセスの階層;経営目的や目標を実現しようとする業務機能の連携に必要とされる情報の集合のこと。
  3. ITの階層;コンピュータや携帯電話などの情報機器、情報機器を作動させるシステムソフトウェアおよび情報システム、インターネットやこれを支える情報通信技術、およびこれらの運用と維持に必要とされる情報の集合のこと。
  4. 情報の階層;経営資源に関する情報、経営活動の情報、技術に関する情報、情報基盤を構成する他の階層間の連携に必要とされる情報の集合のこと。
  5. 組織機能の階層;経営目的を実現するために組織化された機能連携、組織のビジネスモデル、およびこれらの運用と維持に必要とされる情報の集合のこと。

■製造業の組織機能について

情報基盤を構成する組織機能については、製造業をとりあげ以下に説明します。
  1. 経営管理;経営企画、人事、経理・財務、総務など企業活動を統合して運営するために必要な管理機能のこと。
  2. 技術管理;研究および技術開発、製品の技術情報、製造技術などの管理機能のこと。
  3. マーケティング・営業管理;マーケティング調査・分析、販売促進活動、営業・販売活動などの管理機能のこと。
  4. 生産管理;生産計画、製造管理、製品在庫などの管理機能のこと。
  5. 調達管理;部材調達、部材在庫などの管理機能のこと。
このような情報基盤は、どの組織においても存在しています。ところが、このことに気づくのは、経営上の不具合(粉飾決算、個人情報の漏洩、リコール隠し、過労死、食品偽装、マネジメントシステムの品質事故など記者会見で経営陣が謝罪するケース)が起こったときであることが多いのは、とても残念なことです。

■ビールテイスト飲料「フリー」を開発した事例から

ここで、実際の商品開発の事例をとりあげます。「2009年4月の発売から2ヶ月、当初目標の63万ケースを達成し、年間販売目標を2.5倍の160万ケースに上方修正した(注2)」キリンビールの事例から、情報基盤(特に組織機能の階層)がどのように機能したかを確認してみましょう。商品を市場に出すまでの手順に沿って説明します。

手順1; マーケティング調査により、ドライバーの約9割がビールなどアルコールを飲みたいが我慢している、という結果を得た。
マーケティング・営業管理の活動結果として、市場調査の情報を得た。
手順2; ビールだけでなくチューハイなどの担当者も含めたプロジェクトチームを組織した。
経営管理は、技術管理と連携し、市場調査の結果を活用するために複数の製品技術を組み合わせたプロジェクトチームを組織化した。
手順3; 2年間で、「発酵させないという製造方法」を開発した。
技術管理は、調達管理と生産管理と連携して、新製品のコア技術の開発に成功した。プロジェクトチームを2年間支えた経営管理との連携もあった。
手順4; 東京湾アクアラインの海ほたるパーキングエリアでF1ドライバーを起用した発売キャンペーンを実施した。(これには、社長も参加したという)
マーケティング・営業管理は、経営管理と連携して、販売促進活動を実施し、当初目標を達成した。

これらの組織機能の各々が巧みに(ヒット商品を生み出すほどに)連携できたことは、それ以外の情報基盤の構成要素(人、業務プロセス、IT、情報の各階層)との連携が的確であったことをも示唆していると思います。
この事例企業が情報基盤をどこまで意識して取り組んだかは、実際のところ当事者にしかわかりません。しかし、結果的にヒット商品をつくりだしたとされる組織能力(注3)の背景には、情報基盤が存在するということを否定できないはずです。
情報基盤を活用できる個人が自己実現と組織目標を同時に実現しやすいことは、読者の皆様も容易に想像できるに違いありません。また、情報基盤を構築し従業員に活用させることができる組織能力(情報マネジメントの力)が、組織に求められていることも合わせて確認しておきたいところです。
ここで問題になるのは、情報基盤の構築です。黙っていても自然に構築できるものではありません。MOTリーダーの役割として、情報基盤の構築に主体的に参画するだけでなく、自ら技術者としての自己を実現するために情報基盤を活用することが求められているのです。
<注の説明>
(注1) 自己実現という用語を用いたマズロー(1908〜1970)は、この用語の欠点を以下のようにあげている。
「a.愛他的というより利己的な意味が強いこと、b.人生の課題に対する義務や献身の面が希薄なこと、c.他人や社会との結びつきをかえりみないばかりか、個人の充実が「よい社会」にもとづいている点を看過していること、(以下、略)」
−「完全なる人間」(序文px)A・H・マズロー著、上田吉一訳、誠信書房−
(注2) 2009年5月25日、日経産業新聞「常識に挑む」から一部引用、参考にした。
(注3) ユニクロとグーグルの事例を本連載の第1回(テクノビジョン2009.2)でとりあげている。

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