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【連載:ユダヤ人の発想に学ぶ16】 〜ユダヤ人社会の女〜
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現代イスラエル国家の建設時代に百論噴出するシオニストたちの意見を一つの方向にまとめ上げる作業をしたのは、後に外務大臣、総理大臣をつとめたゴルダ・メイールであった。米国にはユダヤ人女性が創業した化粧品会社や、女性権利運動活動家など、ユダヤ人女性の社会進出がいちじるしい。今回はその背後を少し探ってみよう。 有名な女優バーバラ・ストライサンドをはじめ、ハリウッドにはユダヤ人が多い。ハイウッドの映画産業そのものが、ゴールドウィンやフォックス、ワーナー兄弟など、ユダヤ人の興行主が中心になって開拓した分野である。だから、監督や俳優にユダヤ人が多いのは当然である。 女優のデボラ・カーも、マリリン・モンローもユダヤ人であった。1940年代に日本で広く親しまれた漫画の主人公ベティさんは、実在した女優ベティ・ブープがモデルであった。 私のアメリカ留学時代に、恩師のひとりH・L・ギンズベルグ教授が、講義のおりに言われた冗談がいまも思い起される。「聖書の影響は偉大だ。国威斜陽とはいえ、大英帝国連邦の女王さえもユダヤ名を名乗っている。聖書に記録された女性には、それだけ有徳で優れた女性がいるということだ」 ちなみにエリザベス(エリーゼ)は、ヘブライ語のエリシェバから転訛したギリシャ語の表記に由来する。エリシェバは、初代祭司アロンの妻の名前で、「神は誓う」という意味である。 西洋社会の主流の宗教はキリスト教である。キリスト教の聖典は主として新約聖書であるが、ユダヤ教の聖書を「旧約聖書」という題名で受入れている。そのため、聖書中の有名な女性の名前は、キリスト教徒の間でも使われている。マリア(マリー、マリリン)、エリザベスは新約聖書にも出てくるので、キリスト教徒もよく使う。だが、デボラ、ヤエル、レア、レイチェル、エヴァ、タマル、ナオミ、ミカル、アビ、ジュディ、バトシェバ、エスティ、ゴールダなど名前の女性は、まずユダヤ教徒ユダヤ人か、ユダヤ系白人にまちがいない。 1.旧約聖書の女性観さて、旧約聖書を古典として読む場合の楽しみのひとつは、そこに登場してくる女性、つまりイスラエル史が記憶している女性の多さと、それぞれの個性の多様さである。これは他の民族の歴史書とはずいぶん違う。彼女らは、男性よりも雄弁で、行動にためらいがなく、それぞれ主張の論旨が通っている。旧約聖書は、女性の存在に対して柔軟な理解を示している。その典型が旧約聖書の冒頭をかざる天地創造の最後にアダムとイブが登場する物語である。まずアダムが創造された。この点では、聖書は男子優先である。しかしエデンの楽園におけるアダムの行動を見て、神は「アダムがひとりでいるのはよくない」と気づいた。この発言には、他の動物たちが雌雄ペアであるのに、アダムだけがひとりで可哀そうだという同情がこめられているという説がある。しかし、ユダヤ教法師たちによると、男が独身でいると、あれこれ不道徳な行為に走るから、よろしくないという批判の意味だという。男が精神的にも道徳的にも調和のとれた生活をするために、独身は好ましくないわけである。 そこで、神は「かれのために、ふさわしい助け手をつくろう」と、イブを創造した。男がどんなに威張っても、しょせん男は自己充足できる存在ではないという認識こそが、聖書の、そしてユダヤ教の女性観の出発点なのである。 ところで、「かれのためにふさわしい助け手」というのは、原文のヘブライ語では「エゼル・ケネグドー」である。これは直訳すると「かれの真正面に対峙する助け、かれと反対するような助け手」である。ここには、女性をたんなるヘルパーとして捉えるというよりは、いざ問題が生じた場合には、正面きって率直に男に意見をいう者、あるいは男の常識をくつがえして、男とは逆の方向から解決をはかる者でもあるという認識がこめられている。 たとえば、イサクの妻リベカは、夫の意向に反して次男ヤコブを相続人になるように仕組んだ。その結果、ヤコブはイスラエル十二部族の族長となり、ユダヤ人の精神史に逆転の生き方を教える人物像となった。ヤコブの妻レアとラケルも、自分の意見をはっきり主張し、夫のハラン脱出に賛成したばかりか、ラケルは父ラバンをあざむいてでも、ヤコブの窮地をすくった。 時代はさがって、紀元前1200年頃、士師記に登場する女預言者デボラは、全イスラエルの問題をさばき、いわば国母的存在であった。紀元前1000年頃の英雄ダビデをとりまく三人の女のうち、妻ミカルと、ナバルの妻だったアビガイルは、いずれも自分の考えで夫の危機を回避した。バテセバは、王位継承問題がこじれたとき、ダビデ王と直談判し、彼女の子ソロモンの即位を実現させた。 また前470年頃、ペルシャの王妃となったエステルは、その英知によってペルシャ在住のユダヤ人を虐殺から救ったという。これは多分に伝説っぽい物語であるが、そこには女性でなければ演じられない歴史的任務への尊敬の念がこめられている。 毎年、早春の2〜3月になると、ユダヤ人はエステルを記念するプーリム節をいわい、彼女を身近な生活のお手本として思い出す。かれらは、2千年、3千年前の出来事でも、歴史の時間空間をこえて、今日的視点で教訓を読もうとする。 実際、ユダヤ人の家庭では、毎週金曜日の日没後、シャバット(安息日)がはじまるとともに、主婦が安息日を祝うろうそくを点火し、夫よりもさきにシャバットの祝祷をささげる。翌日、土曜日の夜のとばりが下りたところで、明日からはじまるつぎの一週間の到来をいわって、新しいランプに点火するのも主婦の役目である。 「ジューイッシュ・マザー(ユダヤ人のおっかさん)」ということばは、家庭をつかさどる主婦の存在の大きさを表現したものである。ユダヤ人の家庭では、毎週金曜日の夜、安息の晩餐の最後に、「わが妻、わが母こそ良妻賢母の鑑だ」という内容の歌を家族全員が大声でうたう。これは、一家の権威は父親にあるとしても、ユダヤ人の家庭の中心はひとえに妻であることの再確認にほかならない。つまり、ユダヤ人の家庭における重力の中心は夫ではなく妻にあるという結論になる。 2.女性でも民族指導者になれる伝統その代表格ともいうべき存在が、紀元前1125年頃の女傑デボラである。彼女は一家の主婦であったが、イスラエルの部族間の諸問題を裁く「士師」という最高の地位に選出されていた。日本でいえば、さしずめ女王・卑弥呼のような存在であった。彼女を通して神がくだす神託は公平かつ的確だったのであろう。だからイスラエル人同士でトラブルが生じると、人々は最終審判を仰ぎに彼女のもとまで山また山を超えて来ていた。 彼女は、その名デボラ(蜜蜂)が示すように、つねに人々に勇気と元気を滋養に富んだ蜂蜜のように与えていた。だが、いったん群れに危険が迫ると、攻撃も辞さなかった。 当時、北イスラエルの諸部族は、ガリラヤ地方のカナン連合の覇者ハゾル王ヤビンの支配に屈服していた。当時、イスラエル連合軍の指揮官バラクであったが、その勢いは彼の名前「バラク(稲妻)」が示唆しているように短い。長期戦や持久戦に耐えない。これを見かねて、彼女はバラクに活を入れ、全軍1万人を召集し、彼に預けた。「神が、ヤビンの軍隊と戦車を大将シセラもろとも我々の手に渡される。だから、出撃せよ」 デボラがカナン軍との決戦に選んだのは雨季であった。それもハルマゲドンの戦場として有名なエズレル平原をはさんでの決戦であった。敵のカナン軍は当時の最新ハイテク武器、鉄製の戦車900輛で挑戦してきた。エズレル平原は、一雨ふれば、たちまち泥沼になる。期待通りに大雨が降り、敵軍は戦車も馬も、胸までつかる泥に足を取られて、壊滅的敗北となった。 そして、敗走するカナン軍の敵将シセラが逃げ込んだ先は、遊牧民ケニ族の族長の妻ヤエルの天幕であった。当時、ケニ族はカナン王ヤビンと友好的であった。だがそれは牧草地への入会権の確保のためであった。それ以上にケニ族の人々が大切にしていたのは、その祖先が、かつてイスラエルの英雄モーセと姻戚関係にあることだった。ヤエルは、彼女の天幕に逃げ込んだシセラが疲れて寝込んだすきに、その頭に犬釘を打ち込み、殺したのであった。彼女はその名ヤエル(羚羊)のとおり、敏捷であった。 ちなみに、今日イスラエル北部からレバノン・シリア南部にかけて住んでいるドルーズ族は、このケニ族の末裔だという。アラブ人であるが、イスラエル軍に義勇兵として参加している。 それにしても、デボラとヤエル。これはいまもユダヤ人が最も愛している名前のひとつである。 3.女性の台頭がいちじるしい国イスラエルユダヤ教の法律論集「タルムード」の中では、女性にかんする事項をとりあげた膨大な法典が6冊もある。そこには、男性の避妊行為を禁じる一方で、女性の健康と安全という観点からは、女性自身による避妊具の使用を容認すべきではないかという発言さえも記録されている。これは、ユダヤ教が女性に一個の人間としての尊厳と権利をみとめていたからにほかならない。 しかし、一般的に、女性には学問を無用だとする風潮がユダヤ社会で支配的考えであったことも事実である。12世紀以後のユダヤ教に多大な影響をのこしたマイモニデスは、その著作のなかで、しばしば「女と愚か者」という表現を使用し、愚か者を杖で打てとさえ命じている。もっとも、かれのような極端な男尊女卑論者は、ユダヤ教の歴史のなかではめずらしい存在であって、皆がかれに倣ったわけではない。 18世紀の東欧にはじまったユダヤ教の神秘的復興運動ハシディズムでは、開祖バアル・シェム・トブの娘アーデル、その娘ファイゲ、ハバッド派の開祖となったシュネウル・ザルマンの娘フリーダ、哲学者ベルグソンの曽祖母にあたるタマレ・ベルグソンなど、幾人も高名な女性リーダーを輩出している。この頃から、しだいにユダヤ教のなかにも女性でも実力があればみとめようとする傾向が出てきた。 20世紀になってユダヤ人たちが祖国イスラエルの再建にのりだしたとき、これはゼロからの出発であったために、女性の協力をひじょうに必要とした。とくに、農業開拓で国家再建の最前線をになったキブツや、学校などでは女性の発言権はさいしょから男性と同等であった。1948年にイスラエル国家が発足するや、51年には早くも男女平等法が公布され、64年には男女平等賃金法が制定されている。女性の地位の点では、現代のイスラエル国のほうが日本よりもはるかに進んでいる。 しかし、その背後には、三千年以上におよぶ長いユダヤ教の伝統と慣習と掟の歴史がある。そうした伝統と調和し、なおかつ近代化をすすめようとするから、ユダヤの女性たちはさまざまな問題に直面する。そのたびに、ユダヤ人はタルムードをはじめ幾多のユダヤ教の聖典にもられた知恵や洞察を土台にして、あたらしい解決方法を発見していく。古典と現代との共存共立、これがユダヤ人ならではの生き方である。 |


