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【連載:ユダヤ人の発想に学ぶ17】

〜ユダヤ人のまつり〜
手島 佑郎  
(ギルボア研究所所長・ヘブライ学博士)  
 
ユダヤ教では独自の陰暦を使用している。今年、9月19日(実際は18日の宵から)、ユダヤ暦5770年の新年が始まった。それは、天地創造の最後にアダムが造られた日を起点とする暦だという。但し、アダムが創造されるまでの6日間が、我々人類の時間のどの程度の長さに相当するかは、単位外だという。そこで、ユダヤ人の暦について眺めてみよう。



1.祭礼と祝節

日本人に聖書は分かりにくい。たいていの人は、それは聖書の世界が日本人にとって異文化であるためだと思っている。聖書中に、エホバだ、バアルだと片仮名の名前がいろいろ出てくると、これだけで、面倒臭くなって、投げ出してしまう。
それでいて、ゼウスだ、ジュピターだとなると、おお、ギリシャ神話やローマ神話の主神のことだと、とたんに親近感をもったりする。同じ片仮名でも、西洋文明のひびきや匂いがするものは、われわれ日本人には心地よく受け止められる傾向がある。これは、明治維新の文明開化以来、日本人の心にひろがった西洋への憧れという伝統に根ざした感情なのかもしれない。
だが、異文化というのであれば、となりの中国も異文化である。そして、日本人の多くは、中国文化をそれほど分かりにくいとは思っていない。何となく分かったつもりになっている。
日中関係を真に進展させるうえでは、この分かったつもりが曲者である。それは、しばしば相互の誤解を生む原因にもなる。
たとえば日本語の「マツリ」である。日本語で、「お祭り」と言えば、それは祝い事の意味である。戦時中のこと、中国に侵攻していた日本軍が、ある村で、陸軍記念日だか何かを祝うことにした。現地の村人に筆談で、明日我々はおまつりをする。村の人達もこれに参加してもらいたい。そういうつもりで、「明日、我等為祭礼。請村民参列是」と記した。
翌日、日本軍の幹部はびっくりした。村人がみな喪服を着て現れたからである。日本軍の幹部は、かんかんに怒った。「マツリをするというのに、喪服で来るとは何事だ。日本帝国陸軍を侮辱するつもりか!」
再度筆談をして判明したことは、中国語で「祭礼」というのは、死者や祖先への弔いの意味であった。祝い事であれば、「節」、または「節会」、「祝節」と記すべきであった。祭と節、わずか1文字で、喪服と晴れ着との大違いとなるのだ。
ちなみに、現代中国語で「恩愛」という熟語は、夫婦の親密な愛情をさすのであって、「慈愛」の意味ではない。
異文化に接するさいは、最初から親近感をもって接するか、それとも違和感をもって接するかによって、理解する態度に差が出てくる。私の場合、聖書の舞台イスラエルで過ごしたことに加えて、中東各地を旅し、古代の空気と風と光とに触れたこともあって、聖書を文面から理解するよりも、その情景や情感から理解する。そして、私は聖書を遠い古代のことだと思わない。生活の風習と様式はちがうが、現代と同時代と思って聖書に接する。そうすると、そこには聖書に登場する人々の生活のざわめきと騒音が、私の心のなかに聞こえてくる。
聖書は、私にも異質な文化ではある。だが、そこにいるのは、私とおなじ人間である。言語や表現、価値観、風俗はちがっても、同じ人間であるから、互いに分かちあえる共感の場がある。そう思って接すると、聖書が抱えているさまざまの問題が、素直に見えてくる。

2.宵から始まるユダヤの行事

ユダヤ教には幾つものまつりがある。
もっとも基本となるまつりは、安息日(シャバット)である。ユダヤ暦は陰暦であるから、新しい日の到来は、夜のとばりの到来とともに始まる。安息日は週の第7日目であるから、これは太陽暦でいえば、金曜日の日没後のたそがれから始まる。英語では、シャバット・イヴだが、それを安息日前夜祭と訳したのでは誤訳である。安息日の宵というべきである。クリスマス・イヴも、あれはクリスマスの前夜祭でなく、クリスマスの始まる宵なのである。宵は一日の終わりではなく、一日の始まりなのである。
ユダヤ人にとって、金曜日の夜は休息の始まりであり、神に一週間を無事に労働し、無事に生活できたことへの感謝をささげる宵である。
ユダヤ人には春と秋に大きな祝節をむかえる。春はエジプト脱出記念のペッサハ(過ぎ越しのまつり)を祝う。過ぎ越しのまつりでは、7日間、毎食、麦粉を素焼きしただけのマツァとよぶクラッカーを主食とし、エジプト脱出当時の祖先の苦労をしのぶ。この期間中、通常のパンはいっさい出ない。
まつりに先立って、午後、麦に初鎌をいれるオメルの儀式をおこなう。そうすれば、青い麦の穂を火にあぶって食べてもよい次第となる。わたしは麦の青い穂を食べたことはまだない。だが、五月ごろであったか、トウモロコシのまだ小さな穂を炭火で焼いたものを食べたことがある。あれはとても香ばしく、いまも忘れられない。
ペサッハから50日後には、七週節を祝い、麦の収穫の終了を感謝する。西暦3世紀頃から、このまつりは十戒授与記念の意義も持つようになった。エジプト脱出後50日目に十戒が神から授与されたという故事に因んでのことである。この背景には、当時、ユダヤ教から分岐したキリスト教が、七週節をペンテコステといって、キリスト教会発足の記念日にしたことの影響があるのかもしれない。本家のユダヤ教としては、この祝節に対して、キリスト教会とはちがう独自の宗教的意義付けをしたかったのであろう。

3.ユダヤの新年

ペサッハから7ヶ月、季節は初秋、太陽暦の9月中旬〜10月初旬の頃、ユダヤ暦のティシュレイ月が到来し、ユダヤ人は新年(ローシュ・ハシャナー)をむかえる。もともとはこれも農業に関係するまつりである。1年間の農業収穫が終った後の感謝の行事であった。
ローシュ・ハシャナーの時は、リンゴや果物、果糖たっぷりのデーツもしくは蜂蜜など、甘いものを食卓に出す。幸せに満ちた甘い1年でありますようにと祈りをこめる。
では、なぜ秋が新年になったのか。それは、ティシュレイ月1日のことをヘブライ語では、“A B-TiShReY”と表記する。このアルファベット大文字をならべ変えると、“BRAShYT”(ベレシート、初めに)という言葉になる。天地創造のはじめを指す「最初」もベレシートである。伝説によると、アダムが創造された天地創造の6日目、これはティシュレイ月1日であったという。
ところで、ティシュレイ月の10日目に、過去1年間の罪の決算と審判が下されるという、ヨム・ハキプリム(通称、「ヨム・キプール」、大贖罪日)を迎える。ユダヤ人は、新年が到来しても、このヨム・キプールを済ますまで、何とも気分が晴れない。
まず、新年1日の午後は、川や湖畔、海岸など水辺へ行き、ポケットの中のパン屑を水面に投げ捨てる。これは、自分がかかえている罪と訣別するのだという決心の象徴行為である。
新年を迎える前日迄の挨拶は、「レシャナー・トバー、ヴェティカテブ、ウティハテム」である。省略して、「レシャナー・トバーだけで済ます人もいるが、その意味は、「良い年を、そしてあなたが生命の書に記され、かつ登録されますように」である。返す挨拶は、「ハティマー・トバー、良い署名をもらって登録されますように」である。つまり、ヨム・キプールで神の審判の前に立ち、罪なく清い者とされますようにという祈りがこめられている。ヨム・キプールには、ユダヤ人は丸一日断食し、過ぎた1年間の罪の赦免を神に乞う。そして、翌日の夕方と共に、1年分の罪の決算をし、新たな気持ちで再出発する。
ヨム・キプールが終ると、途端に「レシャナー・ハバー・ビルシャライム、来年こそはエルサレムで会おう」と、未来への希望への挨拶をかわす。1年、1年積み上げるこの未来への祈願が、2000年間にわたって離散のユダヤ人を支え、西暦1948年のイスラエル再建を実現させた。

4.今も室外を基本とする仮庵節

ヨム・キプールから5日目には、8日間にわたるスコット、仮庵(かりいお)のまつりを迎える。まつりの期間中、人々は葦や枯れ枝で囲った小屋のなかで食事をする。頭上に星が見えること、風が吹き抜けることが条件である。中東の10月はまだ涼しく快適だから、小屋の中で食事するのも野趣があって、まんざらでない。小屋の中は、リンゴ、ザクロ、ブドウ、クルミ、オレンジ、デーツなど、さまざまの果物で飾り立ててある。秋の収穫感謝の気持ちが一杯に伝わる。
だが、緯度の高いニューヨークなどで、10月の夜、屋外で食事をするのは、身が凍える。ニューヨークでは、テラスに象徴的な仮小屋をつくり、そこにテーブルを置き、希望する人だけがそこで食事ができるようにしていた。大部分の人は、テラスに続く食堂で食事をしていた。ただし、テラスと食堂との間仕切りは開放したままにする。こうすることによって、理屈上、食堂も屋外のテラスの一部だと看做すわけである。
仮庵のまつりの期間中、人々はそれぞれ、なつめやし(デーツ)の新芽の穂と、ヤナギと、ミルトスの枝をひと束にして持ち、立派なシトロンを手にして、礼拝に臨む。それは生命の勢いと神の恵みの象徴である。ほとんどの人が、これらの植物の束を居間に飾り、次の秋まで保存している。
聖書はいう、「すべてイスラエル生れの者は七日の間、仮庵に住まなければならない。これはイスラエルの子らをエジプトの地から救出したとき、わたしが彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの子孫代々に知らせるためである」と。
たとえ風が吹き抜ける粗末な仮小屋であっても、神が人々とともに同行すれば、そこには無限の保護があることを知らせたかったのである。こうしてユダヤ教の新年の行事が完了する。
こうした3000年以上も前からの行事と伝統を固持することによって、ユダヤ人は2000年の流浪の間も、民族としての自覚を失わないで、現代まで生き延びてきた。
そして12月頃に、ハヌカという8日間続く光のまつりを迎え、2月にはトウ・ビシュバットという植樹日、3月にはプリムという仮装のまつりを迎える。
ところで、最近はパレスチナ人も、「来年こそはエルサレムで会おう」と言い始めている。彼らの流浪と離散もまた歴史の悲劇であり、この解決も歴史の大きな課題となっている。


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