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【連載:ユダヤ人の発想に学ぶ19】

〜ユダヤ教のシンボリズムと神秘思想〜
手島 佑郎  
(ギルボア研究所所長・ヘブライ学博士)  
 
このところ、日本でも欧米でも、そしてイスラム諸国でも、精神世界への回帰が高まっている。とかく「精神世界」というと、科学的な装いの下に、難解な言葉と複雑な論理で詭弁を隠しているケースが絶えない。だが、ユダヤ教では、合理的論理の世界と、神秘的思想の世界とを明確に区別してきた。その概要を今回は短く紹介しよう。



1.カバラと魔術

ユダヤ神秘思想(カバラー、Kabbalah)についての学術的研究への道を開いた第1人者は、ヘブライ大学のゲルショム・ショーレム教授(1897-1982)である。
一般に西欧でカバラ(Cabala)といえば、それは中世以来、魔術や呪文を含むユダヤ的迷信の世界とされていた。
たしかに、西欧人がいう「カバラ、Cabbala」は占いや、呪術の一種である。それは、魔術の神秘性を高めるために、ヘブライ文字などを呪文に混ぜ、意図的にユダヤ的扮飾をしているにすぎない。
ユダヤ教の世界にも、呪術は皆無ではない。だが、それらはキシューフ(魔術)とか、セグラー(秘術)と呼ばれ、ユダヤ教の「カバラー」と区別されてきた。医療のための呪術はルフアー(治療)、占いであればゴララー(くじ)と、目的別の区別をしてきた。
もっとも、ルフアーは、すでにローマ時代には、呪術的治療と一線を画して、独立した学問分野となっていた。その伝統を引きついでであろうか、中世アラビアでは、イスラム諸国の王朝の宮廷医の多くが、ユダヤ人であった。
十字軍を大敗させたイスラム軍の指揮官で、1171年にエジプトにアユーブ王朝を開いたサラディンの侍医は、ユダヤ人の医師マイモニデスであった。彼の正式の名は、ラビ・モーセ・ベン・マイモン。ユダヤ教法学者として、今日でも最高権威者のひとりである。彼は、魔術が大嫌いの合理主義者で、アリストテレス哲学の信奉者でもあった。

2.タルムードとカバラー

だが、ユダヤ教学者の間でも、合理主義だけでは満足できない人々もいた。そういう人々が「神秘思想としてのカバラー」の研究を推進していた。
ユダヤ教における「カバラー」は、ユダヤ教律法を研究する「タルムード」とならぶ独立した学問領域である。
今日タルムードといえば、それは、主としてユダヤ教の戒律、掟、社会生活上の市民的権利と義務に関する議論を収めた膨大な法典をさす。
タルムードは「ラマド(学ぶ)」というヘブライ語が原義である。タルムードを学ぶさいに、教師が先にテキストについて講義講釈をすることはまず有り得ない。原則として、学徒みずから法典を探究し、解釈することをもとめる。教師がテキストの解説をするのは、生徒たちがグループで、あるいは独自でいろいろ考え抜いて、それなりの結論に達してからである。学ぶということは、聴講ではない。まず自分で考え、自分で問題を見つけ、自分でその論理や推論の正しさを発見することである。

一方、カバラーは、ヘブライ語の意味「授受・受領」が示すように、賢哲から伝授される知識である。タルムードの勉強も、師から考え方を継承する点で、ローマ時代初期にはカバラーと呼ばれていたことがある。
しかし、宇宙創造と神とのかかわり、神と世界とのかかわり、人間と世界とのかかわりという主題に関する思索は、日常生活を越えた分野なので、ラゼイ・トーラー(トーラーの謎)とか、シトレイ・トーラー(トーラーの秘義)と呼ばれていた。中世以後になって、この分野の探究と実践だけを専らカバラーと呼ぶようになってきたのである。
タルムードは、ユダヤ人の日常生活に関するもろもろの戒律と規定を取り扱う。そうした日常生活に落ち度がない敬虔なユダヤの律法学者が、高度な宗教的精進を目指して、厳格な禁欲と宗教的潔斎をし、その上で瞑想と神秘的思索をかさねる世界が、カバラーの道だったのである。
この面で、カバラーは神秘哲学の研究であった。その主題は多岐にわたっていた。例えば、天地創造以前の世界はどうであったか。天上の神の世界はどうなっているか。神はどのように天地を支配統括しているか。歴史の背後に神の手が動いているとすれば、どういう秘密があるか……など。
こうした黙示録的話題は、人々の関心を引き付けやすい反面、勝手な素人解釈で人々を惑わすことにもなりかねない。
だから、ユダヤ教では未成年者はもとより、ユダヤ教の学問への造詣のない一般の人々がカバラーに接近することを禁じてきた。カバラーに関する書物は禁書ではなかった。だが、神学的概念や哲学的用語がふんだんに駆使されている思弁的な内容は、一般人の馴染める世界でもなかった。

3.ユダヤ神秘思想の学び方

ショーレム教授は、そうした奥伝の世界を歴史的に整理し、ユダヤ教の敬虔主義に無知な門外漢でも分かるような形、つまり「ユダヤ神秘思想」という近代的名称で欧米へ紹介した。
1963年にわたしがイスラエルへ留学を志した理由は2つあった。1つは、歴史家トインビーがいう壮大な「文明の衝突」の舞台としてのユダヤを直接体感したかったからである。もう1つは、対話哲学者マルチン・ブーバーが紹介した「ユダヤ教ハシディズム運動と、その根幹となったユダヤ神秘思想」について学びたかったからである。
前者は、イスラエルの大地を踏んだその瞬間から、「ああ、歴史の場に来たのだなあ」という感慨で始まった。各地の史跡や考古学的遺跡を訪ね、そこで佇み、また古代から現代まで、少なくとも5000年にわたる歴史の興亡に思いを馳せた。最も古い部分では、地中海沿いに尾根をつらねるカルメル山系に、数カ所、10数万年前の旧石器時代のネアンデルタール人の遺跡とされる洞窟がある。その洞窟群を訪れたとき、たまたま石斧を発見し、ひどく感動した。以後、中東各地を訪れ、諸民族の歴史を学ぶなどして、徐々に歴史の読み方を身につけることができた。

しかし、ユダヤ神秘思想の方は、まるで歯が立たなかった。第一に、言葉ができていない。それに加えて、仮に少々ヘブライ語の日常会話が出来ても、神秘思想についての講義など、一般のユダヤ人でも容易に理解できる世界ではない。
ヘブライ大学へ入学して4週目にショーレム教授に助言を求めた。大先生は言われた。「君、まずヘブライ語に上達しなさい。次に、聖書に通暁し、さらにイスラエル民族史の該博な知識をもちなさい。とくに中世のユダヤ人の歴史をよく理解しなさい。それだけの基盤が出来てから、ユダヤ神秘思想の勉強に来なさい」
ショーレム大先生の助言は適切であった。私は、ヘブライ語と聖書学の勉強に打ち込んだ。ユダヤ神秘思想についての理解が私にできるようになったのは、それから9年後、アメリカのユダヤ神学院大学院で修士課程を修了し、博士課程に入ってからであった。それもタルムードなどラビ学についてある程度の理解を積んでからであった。

4.ユダヤ神秘思想の理解に必要なこと

神秘思想というものは、見えない神の世界についての思索であるから、ある水準以上の宗教的知識と理解を必要とする。だが、そこで用いられる用語の外面的意味だけを理解するのでは十分でない。表面的な意味だけの理解であれば、単なる用語の羅列に終わってしまう。
神秘思想の世界では、言葉はシンボル以上のものではない。言葉では表現し尽くしきれない思想的広がりや、人間存在に対する疑問について洞察し、そうした内面的経験を自分の感性としても合点できるかどうか。それが問われている。
そのためには、日頃から言葉や事象の背後にある意味を斟酌する態度と内省や内観の習慣を培っておく必要がある。
たとえば、聖書の次の記述を読んで、何を考えるかである。「城塞の町は孤立し、緑草地は荒野のごとく見放され捨てられている。そこでは仔牛が草を食み、そこにうずくまり、そこの小枝までも食い尽くす。乾燥するとその刈り取られた束は、やって来た女たちがそれを壊し、それを松明にする、なぜならば、聡明さのある民ではないからだ。それゆえ、彼らを創造した神は彼らを憐れまず、彼らを造形した神は彼らからの慰めを受けない」(聖書「イザヤ書」27章10〜11節)
このイザヤ書のくだりの中で、「城塞の町が孤立し、緑草地を仔牛が食い尽くす」という一節は、何を表現しようとするか。まず、そういう疑問から始めるのである。
紀元前8世紀に活躍した預言者イザヤは、もともとこの詩的表現によって、「堅固な城塞を誇るイスラエル北王国であるが、やがて滅亡するぞ。その原因は、黄金の仔牛像に象徴される偶像礼拝にあるぞ」と、遠回しに警告したのである。目の前の現実を直接批判すると、民衆や政権への非難になりかねない。そこで、婉曲な寓話や比喩に批判を託す技術が発達した。これが聖書における「預言」の本意なのである。
ところで、「城塞の町」とは、何を象徴しているのか?「緑草地」や「仔牛」、「小枝」、「女たち」、「松明」などは何を物語ろうとしているのか?と、テキストを離れて、自由奔放な想像に耽り始めると、そこから神秘主義思想へのスタートが拡がるのである。 日常われわれの目の前に展開している出来事を、どのように詩的に表現するか。聖書の著者や編者たちは、しばしば詩的象徴をもちいて現実への批判を盛り込んだ。逆に、詩的感性をつかって聖書を読むと、文面に直接言及されていない真に意図した世界が見えてくる。
そうした感性の延長線上で、現実の背後にある超越的神秘の世界が感得されるようになる。

分野は異なるが、科学技術の発明や発見も、案外、こうした逆説的思索と試行の結果から生まれてくるものである。ユダヤ人の科学者や芸術家の発想の背景に、こうした自由奔放な想像力の伝統と、シンボルを解こうとする伝統があることとを忘れてはなるまい。


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