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【連載:ユダヤ人の発想に学ぶ20】

〜古代の科学技術に見る知恵〜
手島 佑郎  
(ギルボア研究所所長・ヘブライ学博士)  
 
筆者は、世界各地に点在する古代遺跡を訪ねて、楽しみを感じる。だが、それは古代へのロマンといった空想ではない。古代の先人たちがすでに所有していた驚くべき英知と技術に感動するために、遺跡を訪れる。とりわけ、その土木技術の精密さと天文観測との関係の知識の豊かさを偲んで佇む。



1.時間と人間

世の中の出来事は、概して大雑把に流れて行く。こまかい部分で不整合性があっても、それを一々気にしていたのでは物事は進まない。大雑把で大まかだからこそ、人間社会の物事はスムーズに展開するように、筆者には思える。
人間は機械ではないのだから、もしも1分1秒の狂いもなく生活することを強制されたら、窒息状態になってしまう。人間の営みは、本質的に時刻に縛られるものではない。 しかし、時間の目安としての時刻や暦がないと、我々の生活には多大な混乱と不便が生じる。
すでに紀元前9世紀頃に書かれた聖書中の「詩篇」の中に、「新月と満月と祝節の日に角笛を吹き鳴らせ」という一節がある。祭りを祝うためにも、天文観測が欠かせなかった。とりわけ、新月の到来を黙視確認して、それを角笛で全国民に知らせることが、古代イスラエルでは祭司の重要な任務であった。
今から五千年前の古代のバビロニア、エジプト、中国では、天の権威の下に君臨するに帝王にとって、こうした天文観測の任務は、宗教と深い関係をもち、帝王に仕える神官の重要な任務であった。それに伴って、数学も驚異的な発達をとげた。そして、天体観測のために様々な道具が発明された。
一説によれば、古代メソポタミアのウルのジグラッド塔、バビロンのバベル塔、そしてエジプトのピラミッドやルクソールのカルナック神殿も、緻密な天文観測に基づいて建設されたものだという。
大雑把な言い方をすると、科学の進歩は、時間の管理、つまり天文知識の蓄積と天体観察技術の進化の上に実現してきた。

2.アンティキテラ・マシン

例えば、B.C.140年頃のギリシアの天文学者ヒッパルコスは、月が必ずしも30日周期で満ち欠けしていないことに気付いて、それを補正するための暦の計算式を完成させていた。これは、地球の周囲を廻る月の軌道が楕円形であるために因る。
ところで、この計算式を採用した暦計算機の存在が、じつはつい最近になって判明した。それは、1901年に、クレタ島沖の小島アンティキテラの海底から、海綿採りの漁夫が見つけた、錆びてぼろぼろになっている青銅製の道具であった。だが、何の道具だか分らず、そのまま放置されていた。
そこで、ギリシア政府は、ヒューレットパッカード社などの協力を得て、この金属の塊の内部構造の探査研究を始めた。その結果、これは30個あまりの歯車から構成されている精密な天文コンピュータであることが判明した。
大きな円盤2個には、それぞれ正確に53個の歯が刻まれており、太陽暦と太陰暦の補正機能を持ち、月蝕の予報もできる。水星・金星・火星・木星・土星の運行も示す。その構造は、明らかにヒッパルコスの理論ばかりか、アルキメデスの天体運行理論をも反映していた。
察するに、これを積んだ舟が、B.C.100−80年頃に沈没したらしい。研究結果の概要や写真、復元模型は、ネット上で読める(www.antikytera-mechanis.gr/)。現代人でさえも驚くほど精巧な機械だ。機械や物理学の世界では、正確さが基本である。

3.揺らぎの意義

しかし、機械というか、建造物というか、いわゆる「モノ」も、人間と同様に、正確さと同時に、遊びというか、揺らぎが必要なのである。
堅固な建造物や機械も、遊びが勘案されているから、永年の使用でも持ちこたえるのである。例えば、上野・寛永寺の五重塔も、奈良・法隆寺の五重塔も、心柱は土台の上に立ってはいるが、構造的には上層階の宙吊りになっている垂木が建物全体のバランスを保っている。地震などに建物に揺れが加わると、心柱が微妙に振れて、上層階で震動を吸収する仕組みである。
法隆寺の宝物庫は三角材を重ねた校倉造りである。これは、雨季には木材の膨張で湿気を遮断し、水も切る。乾季には木材の収縮で内部の通風を計る。まさに古代人の知恵である。
実際、高度の精度を要求されている機械も、完璧に正確な寸法だけできっちり組み立てられているわけではない。機械の本体にかかる重力や運動量、さらには熱量にともなう膨張と収縮を勘案して、正確な寸法にプラス、一定の遊びが設計に加えられている。
ちなみに、エルサレムの東、オリーブ山のベタニア村にあるビザンチン時代から続いている巨大なオリーブ絞りの石臼には、直径3m程の木製の歯車が動力軸に取り付けられている。これは回転軸の部分にオリーブオイルを注いで、回転の摩擦を軽減する構造になっていた。
中国ではB.C.2675年即位の最初の帝王、黄帝が指南車を実戦で使ったと伝えられている。指南車は、歯車を組み合わせ、車が進路を変えても、車上に設置した人形がつねに南を示す。日本では、A.D.666年に指南車が天智天皇に献上されている。この指南車に由来して、正しく教えることを「指南」と言うようになった。天智天皇は671年に水時計も導入している。そのハイテクぶりから「天智天皇」と諡(おくりな)されたのである。

4.ベアリング

精密機械の歯車も、こころもちの遊びがないと、うまく噛み合わない。超精密なベアリングも、じつは極微の弛みと、その間隙に含まれるわずかな潤滑油のおかげで、全体の重量を軸で支えながら、なおかつ、なめらかに回転するのである。
ベアリングは、紀元前2500年頃のメソポタミアのウル王国の遺跡から出土した青銅製戦車の車輪に、軸受として残っている。固定された車軸に取り付ける車輪の内側に嵌め込んだベアリングとは、文字通りbearing(荷重を負うこと)を和らげる装置である。中国では、同時代に、奚仲(けいちゅう)という人物が戦車100輛を皇帝のために製作したという伝説が残っている。これは恐らく青銅製の戦車であったと推察される。当然、これにも軸受けが工夫されていたのであろう。
とかく現代人は、20世紀、21世紀の現代だけが科学技術が進んだ社会であり、古代を未開の時代であったと考えがちである。だが、筆者は、必ずしも現代人の基本的な知恵と思考のほうが古代人よりも進歩したとは思えない。
現代で進んだのは、速度と微小世界への技術、および客観化と体系化の技術であろう。 宇宙ロケットを飛ばすという壮大なプロジェクトも、それは速度と微小素材の制御技術の延長で実現していることに過ぎない。これらの技術の基礎は、すでに古代から引き継がれて基礎の上に成立しているのであって、現代になってにわかに実現したものではないのである。

5.ソロモンの神殿の設計

古代人の知恵で思いだすのは、聖書(列王記6章5〜6節)に記してあるソロモンの神殿の設計概要である。
「神殿の(三方の)壁の周囲、即ち拝殿と奥殿の周囲に回廊を建てた。そして、脇室を周囲に造った」
神殿は石造りで、東側が入口となり、西・南・北側が壁であった。それを外側から3階建ての回廊で包み込み、補強したのである。回廊全体は厚さが5mあったものと推察される。しかも、その回廊内部に脇室という空間を設け、衝撃の吸収機能を果たさせた。聖書の記述によると、1階の部屋は幅約2.5m、2階は幅3m、3階は幅3.5mにしていた。つまり、基底部分のほうが回廊の壁が厚くなり、神殿本体の下部を外側からしっかり支える構造になっていたわけである。これは護岸用堤防の裾を広く川にせり出させているのと同じ原理である。
そういえば、筆者の故郷・熊本には加藤清正が築かせた堤防が、市中を流れる白川の要所に残っている。400年前の治水技術のほうが、建設省が現代の技術で作った堤防よりも、はるかに堅牢なのである。
ところで、ソロモンが建造したエルサレムの神殿のもうひとつの特徴は、その窓の構造である。日本語訳聖書では、「ソロモンは神殿に、内側の広い枠の窓を造った」とか、「神殿には格子作りの窓をつけた」となっている。だが、原文を忠実に訳すと、「彼は神殿に内側が狭く外側へ広い枠の窓を作った」である。
これは、横にした漏斗を想像されるといい。外界の光は、きわめて絞られた量しか神殿内部に入ってこない。通常の設計であれば、窓は外側が狭く、内側が広く設計してあり、外界から入ってくる光を内部に拡散させるようになっている。
では、なぜこのような逆方向の構造に設計したのか。
それは、むしろ神殿内部に横溢する神からの神聖な輝きが、外界に放射され、世界全体にむかって放散されるためであったという。そこに神殿建設の意義がある。
神は全世界を照らす存在であるとはいえ、そのエネルギーを1箇所に凝縮凝集し、そのうえで改めて目的に応じて放射・照射することも大切なのである。神殿はそのような機能を果たす建造物だったのである。
それは、世界の各所に散在している原子力エネルギーをいったん濃縮し、そのうえで、原子炉で核融合させ、目的に応じて人類の生活のためのエネルギー利用することに似ている。
聖書によれば、我々人間の肉体は、小なりといえども神殿であるという。もしそうであるとすれば、我々も自身の内的エネルギーを外界にむかって善用せねばなるまい。


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