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【連載:ユダヤ人の発想に学ぶ21】

〜休みの研究〜
手島 佑郎  
(ギルボア研究所所長・ヘブライ学博士)  
 
このところ日本の労働組合は賃金アップを、経営者は賃金抑制ばかり考えている。だが、年間15日の国民祝日プラス100日余りの土日の休日を取得している。これは、じつは、一年の三分の一を休んでいるのに等しい。景気を浮上させたければ、国民全体で休日返上し、何か生産的な仕事を試みる事が先ではなかろうか。その前に一筆啓上。



1.イスラエル外交官の自宅でのパーティー

ある時、来日中のユダヤ思想研究の権威者E教授を囲んで、イスラエル外交官の自宅でパーティーが催された。
パーティーの最後に、教授は、「イスラエルの現況と歴史的背景」と題して短いスピーチをした。
「イスラエルという国は2種類のユダヤ人によって建設された。社会主義的理想をかかげて入植してきたシオニストと、聖書の過去の預言と宗教的伝統をひっさげて帰ってきたユダヤ教信者。つまり、未来志向の理想主義者と過去志向の権威主義者。そもそも水と油のようにかみ合わない者たちが作った国だ。しかし、ユダヤ人が自分たちの精神的バックボーンとする聖書自体が、そういう過去の約束と未来への希望という相矛盾する世界なのである。ジレンマの中で自分たちが歩むべき道をさぐる。これはユダヤ人に課せられた宿命なのだ」と。
スピーチの後で、出席者からとんちんかんな質問が続出した。「イスラエル国営エルアル航空が赤字なのは、土曜日に飛ばないからではないか。ユダヤ人は土曜日を安息日(シャバット)として、交通機関を動かさない。あなたはこの点をどう思うか」と質問していたのは、M社のK社長であった。
E教授は丁寧に答えた。「土曜日を休むのは、ユダヤ人にとってアイデンティティの根源です。ユダヤ教に熱心でない者でも、土曜日を安息日・シャバットとして尊敬するのです」
なおもK氏は食い下がった。「だが、エルアル航空が土曜日欠航では、ユダヤ人には不便でありませんか」
教授は笑って答えた。「もしユダヤ人がどうしても土曜日に飛びたければ、エルアル以外の他社の航空機を利用すればいいのです。イスラエルにはユナイテッド航空も、ルフトハンザ航空も飛んでいるのですから」
主人の外交官は、これで質疑応答を打ち切った。
それにしても、K社長は失礼である。わが国でイスラエル通を自認している彼が、安息日のユダヤ的意義を知らないとは!ましてや、日本のエルアル航空の支社の代表もしている彼が、土曜日に飛ばないことを赤字の原因に転嫁するとは!
エルアル航空は最初から土曜日の運航をしていない。それでも以前は黒字であった。あの航空会社が赤字に転落したのは、かれこれ20年も前のことだが、従業員が3ヵ月だか4ヵ月だかに及ぶ超長期ストをしてからである。あれ以来、累積赤字が増え続け、経営改善がままならない。土曜日に飛行機を飛ばして赤字解消できるのであれば、土曜日も飛んでいたスイス航空や日本航空が倒産するはずもなかったではないか。

2.土曜日に営業しなかったロスチャイルド

あのロスチャイルド財閥の創業者マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、毎週金曜日に閉店すると、その夜は、書斎にひきこもり聖典研究にふけった。土曜日、朝の礼拝がすむと、その午後はラビと差し向かいで研究成果についてディスカッションすることを唯一の楽しみにしていた。
当時のフランクフルトの首席ラビは、ロスチャイルドよりも14歳年長のラビ・ピンハス・ホロヴィッツであった。彼はユダヤ法をよく理解し、論理的に物事を組み立て、人徳も篤かった。ユダヤ教の神秘主義についても深い造詣を示していた。ロスチャイルドはこのラビと、タルムードのみならずカバラーなどについても縦横無尽の議論をしていたものと推察される。
ラビとの知的精神的議論は、ロスチャイルドにとっては最大の休養であり、気分転換であった。だからこそ、一週間の残りの6日間を精力的かつ建設的に過ごすことができ、財閥発展の基礎を築いたのである。
もしロスチャイルドが土曜日にも仕事をしていたら、おそらく月並以下の古道具屋で終っていたか、または早々に事業に失敗し、よその町へ夜逃げしていたかもしれない。

3.日本人の休日観と欧米人の休日観

営業時間を延長しても、必ずしも売上が伸びるわけではない。ましてや、営業利益の増大が可能になるわけではない。むしろ、営業赤字が増大する可能性のほうが大きい。
重要なことは、日本国民がどのように気分転換をし、どのような態度で仕事に臨むかである。そのためには、どのように休日を過ごしているかが、まず問われなければなるまい。
最近、日本人の多くが、「休日=レジャー=娯楽」と考える傾向にある。これは誤解も甚だしい。なぜならば、英語で、「I have no leisure for sports.」といえば、それは、私はスポーツする暇もない、という意味である。「Please, make it at your leisure.」といえば、都合のいいときに、それを片付けておいてくださいの意味である。英語のレジャー(leisure)は、あくまでも「手がすいていること」であって、プレジャー(pleasure、娯楽)ではない。おそらく、カタカナ音のひびきの連想から、日本人の多くは、レジャー=プレジャーと考えるようになったのであろう。
日本人の多くは、休日だから遊びに行くという。それもせいぜい2日か3日。そんな日本的休日という概念は英語にはない。
日曜日やクリスマスをさす英語の「ホリデー」は、宗教上の「聖なる祝祭日」であり、宗教行事に参加することが目的である。ホリデーなのに午前中の礼拝や行事をさぼって自宅にひきこもったり、遊んだりするのは、本来は社会的背徳行為である。拘束のない自由な時間は、礼拝後の午後からである。
仕事から抜けたければ、リーヴ(leave 賜暇)を貰う。これは許可を得て仕事から外れることである。
バケーション(vacation)も休暇の意味だが、こちらは、もともとクリスマスやイースターなどの祝日をはさむその前後の長期休業である。学校が休校し、役所が休館になるなど、ガランとしてしまう。欧米でバケーションといえば、クリスマス休暇2週間、イースター休暇10日、夏休み2ヵ月が当り前である。転じて、バケーションは労働者の長期休暇の意味になった。労働者の休暇だから、バケーションはもっぱら保養で休暇期間をすごす。テーマパークや観光地の娯楽施設をわたり歩き、散財することではない。一箇所でゆっくり骨休めするのがバケーションなのである。
学校教師や官吏などが、海外留学とか自主研究とか私的目的のために組織の許可を得て半年、1年の長期間職務を離れる休職はリーヴ(leave)である。

4.日本的休日意識の背景

どういう休みを取るのか。どのように休みを過ごすべきなのか。そういった認識や自覚が、概して我々日本人には欠如しているように見受けられる。
というのも、日本には、盆と正月、花見と芝居見物くらいしか一般には休みの習慣がなかったからである。明治維新後、西洋から太陽暦を導入し、政府命令で日曜休日制度が施行された。そのため、日本人は休日の意義を考えないまま、「日曜日=花見や芝居見物日」と置き換えてしまった。その延長線上に、「休日=買い物」、「休日=ゴルフ」、「休日=観光」といった娯楽本位の休日観が発展したのである。
これらは短日集中的な消費目的の休日である。日本の国会は、短絡的にこの考えを受けて、休日を増やせば消費が伸びる、消費が伸びれば景気回復につながると、国民祝日を年15日に増やしてしまった。だが、肝心の生産が伸びていないのに、消費だけを煽っても、景気が良くなるわけがない。
消費型短期休日の助長は、じつは日本にもあった独自の長期間バカンスをも変質させてしまっている。杖をついて1ヵ月以上も徒歩で巡礼していた「お遍路さん」「お伊勢参り」は、簡単軽便な1泊2日や2泊3日のバス旅行に変質してしまった。保養目的の純日本的バカンス「湯治」も、1泊そこらの温泉めぐり旅行へと変質してしまった。
考えてみると、もともと湯治や巡礼といった有目的バカンスは、ごく一部の日本人しか実践していなかった。その底辺の狭さのゆえに、長期間バカンスはいまだに日本人の間に定着しないのかもしれない。

5.休日の本当の意義

世界で最初に週休制度を採用したのはユダヤ人の祖先たちであった。もしユダヤ教が土曜日をシャバット(安息日)とする制度を始めなかったら、いまだに世界には週休制度はなかったかもしれない。キリスト教の日曜日ホリデー、イスラム教の金曜日ホリデーは、いずれもユダヤ教に見習った結果である。
「シャバット」というヘブライ語の意味は、安息よりも、仏教でいう「安居(あんご)」である。外で仕事をしたり、活動したりしないことである。労働組合のストを現代ヘブライ語で「シュビター」というのも、シャバットの労働禁止思想を汲んでのことだ。
ユダヤ教では、神が6日間をかけて天地創造をし、7日目に一切の仕事をやめて安居した故事にならって、人々は金曜日の宵から一切の仕事を休む。陰暦では1日は日没によって始まる。土曜日の午前中は礼拝に出席し、午後はゆっくりと昼寝するなどしてナッハ(休息)する。
では、休息することがシャバットの意義なのかというと、そうではない。聖書は命じる、「エジプトの地で汝は奴隷なりしを記憶せよ。(中略)それゆえ、安息日を行なえ」と。
彼等が奴隷であったときは、自分勝手に仕事を休むことはできなかった。だが、自由人となった今は、自分の意思で、自分の決定で仕事を休むことが可能だ。休みとは、ほかでもない自由と尊厳と平和の象徴なのである。
したがって、自由人であることの再確認と、この自由が可能になったことに関して感謝を表わすことこそが、シャバットの意義なのである。
ちなみにE教授は、イスラエルの大学からサバティカル(7年目休暇)をもらって、それを利用して夫君と子息を連れて来日し、3ヵ月間東京の大学でユダヤ思想についての講義をしていた。離日後は、家族でオーストラリアに足をのばし、そこでも2ヵ月間滞在するという。
身体障害児教育の専門家である夫君は、日本ではいっさい専門分野のことを忘れ、ひたすら各地の博物館や美術館をめぐっていた。「これだけ日本文化を吸収しておけば、イスラエルへ帰国してから、それが発想の肥やしになり、きっといい仕事ができるだろう」と語っていた。これもリーヴの過ごし方の一つだ。
まもなく日本でも連休シーズンが始まる。その前に、休日の過ごし方や意義について一考するのは如何であろうか。


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