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【連載:ユダヤ人の発想に学ぶ24】

〜ゼロの研究〜
手島 佑郎  
(ギルボア研究所所長・ヘブライ学博士)  
 
1998年から99年にかけて、「西暦2000年」の到来を間近に、欧米社会では「ミレニアム」ということが、大きな話題になっていました。ミレニアムとは、千年間とか千年期の意味です。当時は、2000年になると世界中のコンピュータが停止するのではないかと、大騒ぎもしました。冷静になった今こそ、もういちどミレニアムの意義を確かめてみましょう。



1.ヨベルの年、Jubilee

日本人には、ミレニアムといっても、それは暦が1,000から2,000に桁が上がることでしかありません。
しかし、欧米のキリスト教社会では、ミレニアムとは、キリスト教の歴史が2,000年に達したという特別な意義をもっていました。現行の西暦は、キリスト教暦だからです。これは、キリスト教の開祖イエス・キリストが誕生した年を紀元1年として数えています。西暦をA.D.というのは、Anno Domino(我らの主キリストの年)の略です。紀元前をB.C.というのは、Before Christ(キリスト前)の略です。
今日では、キリストが生まれたのは西暦前4年頃と推定されています。ですが、そんな細かいことにこだわらずに、キリスト教の歴史2,000年を祝おうというのが、欧米の大勢でした。
現在、世界のキリスト教徒20億人中、約半数を占めるカトリック教会の総本山バチカン宮殿では、1999年12月25日午前0時、教皇ヨハネ・パウロ12世が、「これよりグランデ・アンノ・ユビリオ(大聖年)の扉を開く」と宣言し、聖年を祝ってバチカンでは、あの1年間に延べ126日のミサ(礼拝)がささげられました。
最初の「ユビリオ」は、教皇ボニファウス8世によって西暦1,300年に発布されました。 ユビリオというのは、旧約聖書にしるされている「ヨベルの年」という制度を受けついだ思想です。これはキリスト教の母体となったユダヤ教の制度です。古代ユダヤでは、50年ごとに借金を免除し、売却していた土地も原所有者に復帰させるという、いわば大徳政令の年でした。これもヘブライ語の「ヨベル」から転じた言葉です。この名称は、当時、羊の角笛(ユバル)を吹いて50年祝節の到来を知らせたことが起源です。
この伝統をうけついで、カトリック教会では教皇がユビリオを宣言した年にバチカンを詣でると、罪がゆるされると信じられています。だから、2,000年には世界中のカトリック信者がローマへ巡礼に行きました。ちなみに、英語では、50年祝節を「ジュビリー(Jubilee)」といいます。金婚式のことを「ジュビリー」と呼ぶのも、ユダヤの伝統からの延長なのです。
ところで、西暦2,000年は一部のキリスト教徒には、もっと別の意味がありました。「再臨」といって、キリストが再び世の中にやって来ることを期待する終末思想です。
キリスト教の聖書である新約聖書には、「ヨハネ黙示録」という書物が収録されています。これは皇帝ネロ時代に迫害されていた初期キリスト教徒の作品です。黙示録にしるされている謎めいた数字「666」は、じつは皇帝ネロを指す暗号でした。
黙示録によれば、最初の千年間は、サタンの化身である龍が地底に封じ込められている。その間、キリストは、いったん殉教して死んだが復活した聖者たちと共に、世界を支配する。つぎの千年期がはじまる前に、龍は地底の獄から解放されて、地上最終の戦いをキリスト教徒たちに挑む。しかし悪人はすべて火の池に投げ込まれ、最後にキリストが地上に再び現われ、かれを中心とする永久平和の世界が実現するという。
この黙示には、いつから千年期が始まると明記してありません。そのため、この予言を盲目的に、かつ全面的に信じる人々を送りだす結果になっています。
これを信じる人々の中には、西暦2,000年に、キリストが再び世界に降りてくるだろうから、それに出会おうと、イスラエルに移住した者もいました。それどころか、世界最終戦争の大混乱がないとキリストは再臨してこないのだから、自分たちで大騒動を起こし、キリストの再来を速めようと企てたグループさえ、米国には出現しました。
米国を最初に集団で開拓したのは、ピューリタン(清教徒)というキリスト教の一派です。ピューリタンというのは、「潔癖主義者」と和訳してもかまいません。つまり、キリスト教原理主義者でした。だから、その伝統を継承するアメリカのキリスト教社会の中からさまざまの過激派が出現することは、一面では、当然です。

2.ミレニアムとゼロ

私の考えでは、西暦2,000年はもうひとつの意味がありました。それは西暦二千年ではなく、「2,000年」と書くように、ゼロという数字を使って人類が初めて祝うミレニアムだということでした。
ご承知のように、現在わたしたちが使用している数字はインドで考案され、アラビアを経由して10世紀にはすでにヨーロッパに伝わりました。当初は1〜9までしか使われず、ゼロの意味や意義などまるで理解されなかったのです。ゼロがヨーロッパで実際に日常使われるようになったのは、15世紀以後のことです。ゼロは、インド→アラビア→西洋を経由して、日本にも伝わり、明治以後全国に普及しました。
今日では、とかく、0、1、2、3、4……と数字を列挙する。ゼロからの出発などとも言って、ゼロが数の起点であり、単位であると思っている人が多いようです。
しかしながら、ゼロは単位ではありません。ゼロは「空」を表示する数学上の便法にすぎません。いわばバーチャルリアリティ(仮想現実)なのです。事実、A.D.1年の前は、B.C.1年でして、西暦0年というものは存在していません。
ゼロがヨーロッパで実際に日常使われるようになったのは、15世紀以後です。現在世界中で広く使っているインド数字が、アラビアを経由してヨーロッパに伝わったのは、すでに10世紀のことですが、当初は1〜9までしか使われませんでした。ゼロの意味や意義などまるで理解されなかったのです。ゼロは、サンスクリット語のsunya(シュニア)が語源だが、アラビア語でsifre(スィフレ)と訛り、さらにラテン語でcifra(キィフラ)とかzephirum(ツェフィルム)と訛り、さらにベニスの方言でzeroと縮まって世界中に広がったのです。

3.ゼロこそは東洋思想の結晶

考えてみると、ゼロこそは最も東洋的な思想のひとつなのです。なぜなら、sunyaのもともとの意味は「空、空白」だからです。仏教でいう色即是空の「空、クウ」です。仏教では、万物はその存在の本質は空であるが、一時的な形態として色(現象)を示すと考えます。空にして変化自在なのが、sunyaであり、ゼロなのです。
その点で、ゼロはギリシャ人が考えた「無、nihil(ニヒル)」ではありません。ギリシャ的な無は、有との対立を前提としています。無は数えようがないから、有の部分だけを1、2、3……と数えてきたわけです。
空は存在の空白であり、存在の形態上のひとつの様相です。欠如と存在との中間が空である。たとえば、…−3、−2、−1、0、+1、+2、+3……という数字の配列が示すように、ゼロは、マイナスの世界からプラスの世界への「過渡的状況」です。ゼロにはそうした過渡的性・変化性があるからこそ、ゼロは位取りを有効にする機能も発揮できるわけです。
0.1、0.2、0.3という数え方も、ゼロの発明によって可能になりました。これは、人類の文明史上では、比較的新しい数え方です。以前は10分の1、10分の2、10分の3……と数えていました。

4.ユダヤでは無(アイン)は知恵の源

ところで、西洋社会がゼロとインド数字の普及につとめはじめていた13世紀のこと、スペインのユダヤ人社会では、ユダヤ神秘主義の研究が盛んになっていた。そこでは、ギリシャ的な意味とは異なる別の視点からの「無、AYN(ヘブライ語ではアイン)」の研究が人々の注目をひきはじめていた。
具体的には、神はどのようにして無から天地創造をしたかという議論であった。
この問題に対するヒントをラビたちは、聖書のなかの一節、「われ山に向かいて目を上げる、何処からわが助けは来るか。わが助けは天地を作る者、エホバより来る」に求めました。
助けは神エホバから来る。では、その神は何処から助けを創出したのか。
じつは「無」から創出したとラビたちは考えたのです。というのは、「何処」というヘブライ語も、「無」と同じく「アインAYN」と綴るからです。「何処から」は、メアインといいます。天地創造以前には世界は存在しておらず、神のみが存在していました。そのとき神は、世界の有をはるかに凌駕し超越した無限の無であったと、ユダヤ教では考えたのでした。つまり、神の無限の無(アイン)から世界は流出したと、ユダヤ神秘主義では考えるようになった。
したがって、「知恵は何処から見出されるか。」「知恵は何処から来るか」という聖書の句も、「何処から、メアイン」を「無から、メアイン」と置き換えて読めば、知恵は無から来るのだという結論になるわけです。
結論として、無こそが、知恵の根源であり、窮地脱出の知恵の源だということになります。逆説的ですが、無になることが知恵を湧かす近道なのです。以来、ユダヤ人たちは、そう考えるようになりました。
ギリシャ的な虚無の無とはちがって、ユダヤ的な無は、「実無」というか「超無」なのです。
その意味では、われわれ日本人が意識する仏教的な「無即有」という観念と相通じる一面があります。ユダヤ的無は、創造の胎動を感じさせる無です。それはまたインド的空に通じる変化(へんげ)性をも許容します。

5.無からの創造

ゼロを前提としないと、コンピュータは10の位へ、100の位へ、1000の位へと、数字の位を上げることができません。
有に固執するものは無になれない。無になれないものは、創造的知恵を得ない。ユダヤ人はそう考えるわけです。だから、ユダヤ人は事業で失敗しても、無になることを恐れません。失敗し、無になれば、また次の創造への道を開拓すればいい。かれらはそう考えるのです。ここにユダヤ的楽観主義があります。
たとえば、1998年当時、世界的投資家ジョージ・ソロスは、対ロシア投資で200億ドルもの損失を出しながら平然としていました。それは、無からまた有の市場を創出すればいいと楽観していたからです。
つまり、無になってもなお信頼するものが、自分にはあるか。無とは、自分にとって、如何なる意味があるのか。ゼロになれば、色即是空ではなく、逆に空即是色と達観し、空を嘆かず、彩りあざやかに色(事業)を再生配置できるかどうか。これが、ビジネスでも、科学でも、開発でも問われているのです。



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