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【連載:世界一の品質を取り戻す41】

検証・日本の品質力
国際特許法制定を目指して米特許法大転換
−わが国も特許権運用を“守り”から“攻め”へ−
山本 行雄  
(ジャーナリスト・前日刊工業新聞論説委員)  
 

今年から来年にかけて世界の知的財産権制度の大変革期が訪れようとしている。そのインパクトのスタートが米国特許法の改正。米国上院は昨年9月8日、特許法包括改正案を可決、16日にオバマ大統領がアグリーメント(同意書)にサインし、同法が成立した。施行は来年3月となっている。
従来、米国は特許制度モンロー主義を貫いてきた。その最大の特徴が世界の先進国すべてが先願主義(当局に特許権取得の出願した時点をもって効力を発揮する)を採用しているのに対し、米国1国だけが先発明主義(発明した日時を明確に証明できたらその時点から効力を発揮できる)を頑なに守ってきた。しかし先発明主義だとサブマリン(潜水)特許になりがちで、他国からは脅威となっていた。また米国はこの制度を活用した「プロパテント」の国家政策と経営戦略を組み合わせ、1980年代国際経済に大きな一石を投じた。米国も今後の経済グローバル化の大きな波の中で独自制度を貫くのは困難と判断、15年ほど前から国内の利害調整を行いながら特許法改正の着地点を探ってきていた。その結果、誕生したのが米国特許法包括改正案。報道機関は今回の米国の特許法大改正を先願主義への転換ばかりをクローズアップさせているが、“包括”の文字が付いているように、大幅な見直しを図っている。その真の狙いは何か。
一言で言うならば、世界(国際)特許法の制定ということになる。いち早くそれに照準を合わせ体制整備を行うことで世界の知的財産権のヘゲモニーを握ることにある。改正点は10.項目以上にのぼるが、ここではグローバル特許法に焦点を合わせた内容について解説を試みてみたい。

1.先願主義への転換だけでない米特許法の内容

今回の米国特許法の大改正は先願主義への移行ばかりが強調されているが、他にも重要な改正点が多く含まれている。その改正点をすべて紹介する紙幅はないので3点に焦点を絞って解説する。第1点が「ベスト・モード」要件の廃止。ベスト・モードとは当該発明を実施する上で一番優れた実施例を記載する義務があるが、その実例のことを指す。この制度は米国固有のもので他国には例がなかった。今回の改正特許法ではベスト・モード要件が取り除かれている。
第2点目が「先使用権」の新規導入。先使用権とは他の人が出した特許出願の前にすでに自分はビジネスをやっている事実がある場合には、その人に無償で通常実施権が付与されるという制度。この権利は欧州、日本などにはあるが、米国には存在しなかった制度。
第3点目が「異議申立制度」の導入。これも米国にはなかった制度で、欧州では特に多く活用されていた制度。米国の今回の改正では欧州の異議申立制度に倣ったものが導入されている。
以上概観してきたように、この大改正は明らかに米国が特許法のグローバルスタンダード、つまり国際特許法の制定を意識したものになっている。つまり新米国特許法を土台に、国際特許法を構築し、それを縦横に活用することで第2のプロパテントの戦略を行使しようとしているのである。その背景には古くからパテントを企業資産を拡大させる強力な武器とのコンセンサスがあり、企業にもそれを支える法曹界にもこれまで培ってきた膨大なノウハウがあることがベースになっている。つまり米国ほどこれまで知的財産権を活用してきた国はない。これをさらに活かしていくには国際特許法を構築し、その蓄積してきた訴訟技術などを活用し、新たな道を求めなければならないという意見集約が出来たからに他ならない。米IBM社は今回の改正を「世界経済における米国の競争力を生き返らせることが出来る」と歓迎している。

2.「先発明主義」から「先願主義」へ

米国は19世紀以来、最初の発明に特許権が与えられる「先発明主義」の原則を貫いてきた。米国がこの原則に固執する背景には、米国の特許法の基礎をつくった第3代大統領トーマス・ジェファーソンが、同法の先進国である英国に負けない特許制度をつくるためには、最初の発明者を保護すべきだという強い意識が働いており、その伝統を頑なに守ってきたという背景がある。
しかし世界の常識はすでに当局への出願の早さで特許権を認める「先願主義」へ移行している。これまで先発明主義を採用してきた国は米国とカナダ、フィリピンの3カ国あったが、1990年代までにカナダ、フィリピンの2カ国が先願主義に移行、米国だけがそれ以降も先発明主義にこだわり続けてきた。
米国が約60年ぶりに特許法を大改正、こだわり続けてきた先発明主義と決別した背景には2つの側面があると専門家は説明する。1つは情報技術(IT)・ソフトウェア業界などから、技術革新のスピードが速くなり、また新興国との競争が激化している事実を反映させる必要が生じていた。先発明主義だと誰が先に発明したかの審査に時間がかかり、特許の出願から付与まで平均して3年程度を要するため、近年審査待ちの件数が積み上がっていた。
すでに特許が出願されても「こちらが先に発明していたと後から名乗り出る事が可能(サブマリン状態)で争いになりやすい。よって、どう見ても先願主義と先発明主義を比較すると、手続き・運用・透明性の面で先願主義の方に分があることは明らか。先願主義が世界の特許法のグローバルスタンダードになっているのはそうした意味がある。
従来、米国で活動する日本企業は独自制度の特許法下で数多く紛争に巻き込まれてきた。例えばトヨタ自動車は2004年、ハイブリッド車の技術をめぐり、米ペイス社から「この技術を先に発明したのはわが社」などと特許侵害で訴えられ、2010年7月まで審判が長引き、ようやく和解した経緯がある。特許庁のデータによると、09年の米国での特許関連訴訟は2792件と日本国内の約15倍発生し、その1件当たりの裁判費用は平均3億円とも推定され、過大感が強かった。先に発明したかどうかは結局裁判で決着する事になりやすく、膨大な証拠資料を保全しておく必要があり、企業の負担があまりに重かった。特許取得件数の多い電気産業では「今後、特許訴訟での取り扱いが大変楽になる」と今回の米国特許法の改正を歓迎している。
今回の大転換は知財産戦略を立てやすくしてほしいというIT企業の声に強く後押しされたものになっている。早くもその効果が出始めている。米グーグルは、米通信機器大手のモトローラ・モビリティ・ホールディング社の買収に踏み切ったのも、特許の囲い込み(モトローラ・モビリティは2万4000件の特許を保有)を図り、その効力を最大限に活用しスピード感をもって競争力を増大する狙いがあると説明されている。その前段としてアップル社がマイクロソフト、ソニー、エリクソンなど6社と組んでカナダのノーテル社(6000件の特許を保有)を激烈な入札合戦の末、約6000億円で買収した経緯があった。グーグルの買収策はアップルへの対抗策であった。
米国特許法が先願主義に移行したことで今後、国際特許紛争は減少すると見られ、日本企業などは世界的な特許出願戦略や企業の事業展開の立案が容易になる事は間違いない。
米国が先発明主義から先願主義に移行した背景には、次の戦略である世界特許法(国際特許法)の構築を見据えたものであると解説するのは米国で弁護士・弁理士として活躍してきたヘンリー幸田氏(現在は世界最大のローファームDLAパイパー東京パートナーシップ/外国法共同事業事務所シニアカウンセル)。世界特許法を目指した最初の会合は1983年のパリ国際会議に始まるといわれる。その流れが本格化し出したのが1995年頃から。日・米・欧の特許関連当局のトップが集まって世界特許法構想が動き出している。
米国が敢えて、これまで反対してきた中小企業や個人発明家・大学など研究機関など(多数の弁護士を抱える大企業が迅速に出願できるので不利になると反対)を押し切って、先願主義に舵を切った背景にはこれら反対者との利害調整が済んだことと、15年間各国特許法を研究し尽くし、競争優位が今後も維持できると判断した事に他ならない。
わが国は欧米と国際特許法構築に向けて共同研究を進めるとともに、中国、韓国などに共同歩調をとるよう要請している。そのためにわが国も特許法改正の取り組みを強化するとともに、技術開発に追いついていないIT、ソフト、サイバー上の知的財産権の法整備、刑法上の整備も急務となっている。

3.TPP問題と知的財産権

TPP(環太平洋経済連携協定)の交渉21項目の中に特許権(実用新案、意匠権を含む)、著作権、商標権など知的財産権全般が含まれている。わが国は事前交渉に参加する事を表明したが、この中で米国が世界特許法をどう構築しようとしているか、徹底的に研究しておく必要がある。今後、日本にとって知財全般は大きな輸出品目となり、TPPへの参加は成長産業を守り育てることにもつながる。
特許庁によると09年度の模倣品による被害は1059社・研究機関に及び、判明している被害額だけでも1083億円にのぼる。関係者によると総額は年数兆円に達するだろうと推定している。品質が悪い家電製品や自動車などの模倣品や海賊版が出回れば、評価の高かった「メイド・イン・ジャパン」のブランド価値の棄損にもつながってしまう。
日本政府は昨年10月、米、韓、豪、ニュージーランド、シンガポールなど8カ国による「偽造品の取引の防止に関する協定」(ACTA)を主導してまとめた経緯がある。一方、WTO(世界貿易機関)にも「知的財産権を保護する協定」(TRIPS協定)が存在している。すでにWTO加盟153カ国・地域がこの協定に参加しており、模倣・コピー商品の貿易を防ぐ措置を講じるよう定められている。TPP参加国はすでに始まっている交渉の中で昨年11月、「TRIPS協定を強化する」ことに合意したということが伝えられている。今後は特許や商標、著作権など知財権全般を守るための具体的な手法・制度・手続きなどに議論が詰められていく予定になっている。ベトナムやマレーシアなどにもACTAと同水準のルールが導入されれば模倣品の製造・販売に対する防波堤が高くなる。
米国も知的財産の侵害に対しては厳しい姿勢で臨んでいる。TPP交渉で米国は、模倣品などで権利を侵害された企業(個人を含む)などが被害届を出さなくとも、司法当局や税関が職権で逮捕・起訴などの刑事手続きを進めることを可能とする措置案を提案しているとも伝えられている。多大な海賊版被害に悩んできた日本企業にとって米国案は「著作権などを守る効果が高まる」と期待する声も高まっている。

4.権益行使の新たなビジネスモデル構築を

20世紀の世界の特許先進国は米国を筆頭に日本、ドイツなど欧州各国が続くというのが常識だった。しかし21世紀に入ると中国、韓国など新興国の台頭が顕著になってきた。2010年、日本は特許、実用新案、意匠権の3件トータル出願数で中国に抜かれ、第3位に転落した。韓国の猛追も速度を増している。特に中国は2015年目標として年間200万件の出願を目指す計画を立てており、専門家の予測では2013年には米国を追い抜くだろうと指摘する。
日本にはまだ膨大な特許権の蓄積があるために大丈夫とする意見もあるが、近い将来、権力行使に強い関心を持つ中国に日本が攻撃される時代が来る時期が早まっているとする声も強い。
かつて米国のプロパテント戦略行使の時代、多くの日本企業が標的にされた。この苦い経験から、米国の攻撃型特許権活用から日本の特許権は防衛型にならざるを得なかった。日本の特許に要素技術の周辺特許が多いのがその証拠である。
今後ますます特許をめぐる競争は激化することが予想される。特に正面の米国ばかりでなく、後門の中国、韓国が要注意である。そのためには組織のパテントポートフォリオを厳密に作成し、休眠特許を含めて自社の知的財産がどうなっているかを“見える化”し、最大のパフォーマンスを上げる弛まぬ努力を怠らないような体質づくりをする必要がある。
間違いなく日本にも積極的に知的財産権を行使しなければならなくなる時代が来る。それに備えて、米国の特許権活用法や、その経験が生み出されたノウハウ、訴訟のやり方などを徹底的に研究する必要がある。そこから日本独自の特許活用ビジネスモデル構築を急ぐべきである。


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