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【新連載:古典に学ぶビジネスの要諦(1)】 当たり前のことを当たり前に −孔子−
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中国の古典に学ぶというのは昔から行われている。四書五経は江戸時代の大名が身につけていなければならない素養であったし、戦国時代には孫子などの兵法書はバイブルだったともいえる。こうした古典がかかれた時代は遠く彼方となったが、そのスピリッツはいまの組織や人間関係にも当てはまるビジネスの要諦である。というわけで、今月から古典に学ぶ講座、スタートする。 ●かんばん方式をささえるものかんばんやジャストインタイムで語られるトヨタ生産方式。道具立てや仕組みはとてもシステマティックだ。情報と連動した生産体制は自社工場だけでなく、協力会社ともつながっている。トヨタ生産方式を真似しようとしてできない理由もこのシステムに由来するところは大きい。ことに情報ネットワークは精度、セキュリティ、バックアップなど、どこぞの官庁や金融機関に教えてあげてほしいほどの綿密さで組み上げられている。単純になにかあったらひもスイッチをひいて、ラインを止めるというものではない。 だが、それを支えているのは実はもっと泥臭いところにある。それが今回のテーマである「当たり前のことを当たり前に」だ。「特別なことは何もいっていません。親を大切にしろ、仲間を大切にしろ、人を大切にしろ、挨拶しろ、モノを大切にしろ、ごみを捨てるな・・・そんなことです」。 では、それがいかに大切なことなのか。それをその昔に説いたのが孔子である。 孔子といえば、学生時代に学んだ「朋あり。遠方より来る。また楽しからずや」などを思う方も多いかと思うが、世界三聖の一人である春秋時代の中国の思想家だ。論語は彼の言動をまとめたものであるともいわれており古典中の古典、思想史でいえば、これほど引用される人も珍しいのではなかろうかというほどの人である。 ●街に灰を捨てたら、手首切断?!中国の古代国家・殷(紀元前1600年ころから紀元前1046年)では街に灰を捨てたら手を切るという法律があった。ところで、この殷王朝、黄河中流域を支配し、かなりの文化を誇っていた。青銅器はもちろん、絹織物、馬に引かせる戦車も作っている。酒造りも盛んで嘘かまことか、殷がほろびたのは人々が酒を飲みすぎたせいともいわれるほどだ。この殷は19世紀までは幻の王朝ともいわれていたが、遺跡が発掘され、いまでは実在の王朝として認められている。そのような文化があった国家である。文官と武官があり、法律も整備されていた。その法律の一つに「街に灰を捨てたら手首を切断する」というものがあった。 これに疑問を呈したのが、後世、孔子(紀元前551年〜紀元前479)の弟子である子貢である。 「灰を捨てるというそれほど重くもない罪に対して、罰が重過ぎるのではないでしょうか」。 たしかに、いまあちこちの自治体で取り組んでいるタバコポイ捨て防止にしても、捨てた現行犯で科料は数千円。罰金としては駐車違反などより軽い。時代の違いを考えてもいきなり手を切断するというのは乱暴だ。 これに対して孔子が解説をする。「国を治めるべき道をよく知っているではないか。灰を街にすてれば、風に吹かれて舞い上がり、人に降りかかるかもしれない。目に入れば喧嘩にもなる。喧嘩・乱闘は親、子、孫と三代にわたっての処罰だ。それを作り出す原因だから厳罰は当然だ」。 このあたり、風が吹くと桶屋が儲かる式の展開といえなくもない。が、その次が孔子の孔子たる所以、圧巻なのだ。 「重い罰は誰でもがいやがるものだ。しかし、灰を街に捨てないというのは誰でも簡単にできる。誰でもが簡単にできることをやらせる、守らせる。そして厳罰を受けることのないようにする。これが国を治める道なのだ」。
●基準があることが重要これに対して韓非子がまたコメントを出している。中国戦国時代末期(紀元前221年に秦が統一し、戦国時代終了)に生まれた韓非子は性悪説に立脚、たとえ話を用いながら、いかに組織をマネジメントをしていくかを説いた。その彼は「刑罰がはっきりしていれば、犯罪は起きない。安心して暮らせるのだ。これが法治国家の原点だ」と指摘したのだ。組織でもルールや決まりがなければ、守りようもない。いいことなのか、悪いことなのかが誰にでも分からなければ、マネジメントはできない。 整理整頓を唱えても、ロケーションした場所がなければやりようもない。逆にロケーションされた棚があるのに放置すれば、それが「犯罪」といえる。台車置き場がラインで明記されているから、「整理整頓ができていない」とわかる。 これは生産現場だけではない。書類の提出期限や会議の進行、目標と進捗の乖離、人事考課・・・・すべてにおいて、基準があり、その基準と照らし合わせることで判断もできる。逆にいえば、この基準を定めることが国を治める道、いまでいうマネジメントだともいえる。そのときに、留意すべきが「当たり前のことを当たり前にできること」。 誰でもが守れる。守りやすいことをしっかりと行うということになる。 といっても、実はこれが難しい。誰でもできるのは期間限定、場所限定だからだ。継続的に、しかも全員がとなると、たやすくないことだと実感される方も多いだろう。逆にそれが孔子が読み継がれ、トヨタ生産方式の底力が注目され続ける理由になっているのかもしれない。 ★さらに学びたい方に 関連書籍のご案内「論語」1、2 貝塚茂樹 訳 (中央公論新社) 各1418円「論語」金谷治 訳注 (岩波書店) 1470円 「生きがいの論語 しなやかに強く生き抜くヒント」孔健 訳著 (PHP研究所) 1470円 「韓非子―不信と打算の現実主義」冨谷至 著 (中央公論新社) 777円 ★「当たり前のことを当たり前にできるようになる」セミナーのご案内
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