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【連載:日本沈没に抗って!(1)】 小惑星探査機「初代はやぶさ」の奇跡の生還
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澤田 雅之 技術士(電気電子部門) |
リスクマネジメントは、リスクの回避、軽減、移転、保有の4つの手段によりリスクを組織的に管理し、想定される被害や損失の低減を図る事前対応のプロセスとして、概念や用語、手法も明確であり多方面で広く実施されています。
他方、ダメージコントロールは、被害が実際に発生した際に臨機応変に被害拡大防止を図る事後対応のプロセスであるため、手法の普遍化は困難です。それゆえ、その概念や用語が明確であるとは言えず、実効的なダメージコントロールのあるべき姿を思い描くことも難しく、事前に準備を整える動きもほとんど見られないところです。
そこで、実効的なダメージコントロールのあるべき姿を思い描く上での一助とすべく、想定外の数多のトラブルに遭遇した小惑星探査機「初代はやぶさ」が、事前の周到なリスクマネジメントに基づく臨機応変なダメージコントロールによりトラブルを全て克服して奇跡の生還を遂げたことについて、次の3点の資料に基づき分かりやすく記載します。
初代はやぶさは、2003年5月に文部科学省の宇宙科学研究所(同年に国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構の宇宙科学研究所に改組)が打ち上げた小惑星探査機です。
初代はやぶさのミッションは、地球から数億kmの彼方(地球から月までの距離の数百倍の彼方であり、信号電波の送受信に数十分のタイムラグが生ずる距離)にある差し渡し数百mの小惑星「イトカワ」に到達して、その地表に自律誘導制御でタッチダウンして取得したサンプルを地球に持ち帰ることであり、成功すれば世界初となる極めて挑戦的かつ困難なミッションでした。
そこで、極めて挑戦的なミッションの成功に向けて、初代はやぶさでは、次の4点の革新的重要技術が開発・実装されたのです。
また、極めて困難なミッションの成功に向けて、事前のリスクマネジメントで想定し得たトラブルの発生に対処できるよう、初代はやぶさの通信機能・姿勢制御機能・推進機能等については冗長性と頑健性が周到に準備されたのです。
2003年11月、地球周回軌道上でイオンエンジンによる加速中だった初代はやぶさは、観測史上最大規模の太陽フレア(太陽表面での爆発現象であり、高エネルギー粒子を放射)に遭遇しました。この時、フレア放射を浴びた初代はやぶさの太陽電池パネルは、回復不可能な劣化が生じて発電出力が低下してしまいました。このことは、太陽電池パネルで生じた電力を推力に変換するイオンエンジンの加速力低下に直結したため、当初予定していた惑星間航行計画は遂行不可能となってしまいました。そこで、時間をかけて計画全体を見直し、小惑星「イトカワ」への到達予定を3カ月ほど先延ばしにする新たな惑星間航行計画を立案することにより、危機的状況を脱することができたのです。
2005年7月、小惑星「イトカワ」に到達間近であった初代はやぶさは、精密な姿勢制御に用いる3軸リアクションホイールのX軸が故障して使えなくなりました。また、「イトカワ」まで7kmの「ホームポジション」に到達後の2005年10月、3軸リアクションホイールのY軸も故障して使えなくなりました。このため、姿勢制御用RCSスラスタ(12基搭載した小型のロケットエンジン)の常時併用を余儀無くされたのですが、帰還用推進剤確保に向けてスラスタ噴射を精度良く制御する目処が立ったことから、予定されたサンプル採取は実施できる見込みとなったのです。また、精密な姿勢制御を要する高利得パラボラアンテナを用いた高速データ通信はできなくなったのですが、RCSスラスタによる姿勢制御でも地球との通信が確保できる中利得アンテナに切り替えることにより、通信速度は大幅に低下しましたが危機的なトラブルは回避することができたのです。
2005年11月、初代はやぶさは小惑星「イトカワ」へのタッチダウンに成功しましたが、「イトカワ」を離脱した後、12基搭載していた姿勢制御用RCSスラスタの内の1基からの燃料漏れが判明しました。弁の閉鎖により燃料漏れは止まったのですが、12基全てのスラスタの推力は大幅に低下したままとなり二度と回復しませんでした。つまり、3軸リアクションホイールのZ軸を除いて、初代はやぶさは姿勢制御機能を喪失してしまったのです。そこで、緊急の対応として、イオンエンジンの推進剤であるキセノンガスをイオン化せずに直接噴射して姿勢を制御する運用プログラムをわずか1日で開発し、姿勢制御を回復することに成功したのです。これ以降、初代はやぶさは、3軸リアクションホイールのZ軸とキセノンガス直接噴射による姿勢制御を併用することにより、後には太陽光圧を利用する姿勢制御プログラムも開発してキセノンガス消費を抑えることにより、地球帰還まで持ち堪えたのです。
2005年12月上旬、初代はやぶさは原因不明の首振り運動を始めたのですが、キセノンガス直接噴射による姿勢制御でも姿勢を安定させることができず、太陽電池パネルの発電量低下により通信が途絶してしまいました。しかし、ここで諦めず、どこかのタイミングで太陽電池パネルに太陽光が照射して発電量が回復する姿勢になるはずと推定して、初代はやぶさに搭載した無指向性アンテナに向けて、連日連夜、「はやぶさ立ち上げコマンド」を低速度通信により送信し続けたのです。その結果、2006年1月下旬に、初代はやぶさからの低速度通信電波を辛うじて捉えることができました。そこで、低速度通信によるコマンドでキセノンガス直接噴射による姿勢制御を行い、徐々に姿勢を安定させていったところ、2006年3月に中利得アンテナを用いた通信を回復することができ、2006年5月にはイオンエンジンの再起動にも成功し、初代はやぶさを甦らせることができたのです。
地球に帰還する直前の2009年11月、初代はやぶさに搭載していた4基のイオンエンジンが全て機能を喪失して推力を発生できなくなり、このままでは地球への帰還が絶望的な状況に陥ってしまいました。そこで、太陽電池パネルで生じた電力を推力に変換するイオンエンジンの特性を活かして、1基のイオンエンジンの機能し得る部分と、別の1基のイオンエンジンの機能し得る部分とを電気的に組み合わせたのです。この臨機応変な措置が奏功して、イオンエンジン1基分の推力を発生させることに成功した結果、初代はやぶさは地球への帰還軌道に復帰することができたのです。
前記3の(1)から(5)に記載の初代はやぶさが遭遇した数多のトラブルは、いずれも、手を打たなければ「確実に致命傷」となる重大なトラブルばかりでした。しかし、事前の周到なリスクマネジメントにより想定し得るトラブルへの対策を積み重ねていたことが奏功して、想定外の重大なトラブルが発生する都度、新たな制御プログラムを急遽作成して実装するなどの臨機応変かつ的確なダメージコントロールを実施したことにより、数多の重大なトラブルを全て克服することができたのです。このことが、2010年6月に小惑星からのサンプルリターン(世界初)を成し遂げた、「初代はやぶさの奇跡の生還」に繋がったのです。
それゆえ、「初代はやぶさの奇跡の生還」は、事前対応としての周到なリスクマネジメントと、事後対応としての臨機応変かつ的確なダメージコントロールとの間の関係性や取り組み方について、大いに参考にすべき類稀な事例であると言えます。
澤田雅之技術士事務所所長、元警察大学校警察情報通信研究センター所長
先端・大規模プロジェクトにおいて、仕様発注方式による弊害と性能発注方式による解決、組織対応による弊害とトップダウンによる解決、事前対応のリスクマネジメントと事後対応のダメージコントロールなどについて、数多の事例研究に基づく講演や執筆を行っている。